、それが、一つの異った型になったのだ、と申すのでございます。しかし、こうした偶然は、つねに舞台でくりかえすことは、勿論のこと、不可能でございますから、この型を踏襲されていた江戸役者の方々は後見にいい付けて後にはねた烏帽子をわざわざ綱にかけさせていた、――というので御座いました。私は、こうした事を思い出し、師匠の、
「綱に、綱に……」
 と、申されたのは、私にそうした事を命じていらっしゃるのだ――と考えまして、その通りにいたした事でございました。しかし、半四郎師匠は、何故か、明かに興奮していらっした様子でございまして、そうしたことをいたしました私に対しても、毀誉《きよ》を意味する何の表情も、お見うけすることが出来なかったのでございます。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

「これだけでも、あの時の半四郎師匠が、常とは変っていたことがお分りになるでございましょう。しかし、変っていると申しますれば、歌詞の最初あたりの、
 ※[#歌記号、1−3−28]言わず語らぬ我が心……
 と、このあたりで、初めて、清姫の正体がほのめかされるのでございますが、もう、この頃から、どうしたものか、いつもの岩井半四郎とは変り、何としても、そうした、いわば踊りの腹芸とでも申すべき、ところが少しも見えなかったので御座います。それから、三味線の調子が変り、唄も、ひとしお、渋くなってまいりまして、
 ※[#歌記号、1−3−28]都育ちは蓮葉《はすっぱ》なものじゃえ
 と、歌は切れ、合の手でございまして、この三味線の間に、白拍子の花子が、上に着ている衣裳をぬぐのでございます――つまり、引抜くのでございますが、普通の踊りの時のように、踊りの手をやめたり、舞台の後方へ退いて、ひき抜くのではございません。三味線の合の手[#「合の手」に傍点]に合せて、手毬つくしぐさをしながら、脱ぐのでございます。――役者ひとりが、ぬぐのではなく、後見のたすけをかりるのでございます。それは、衣裳の袂、胴、裾、と申しますような部分をばらばらにいたしまして、引きぬくのでございますが、そうしたところを、綻《ほころ》ばしまするには、俗に、玉と申すものを引くのでございます。これは、縫ったまま、止めてない糸のことでございまして、たやすく、引くことの出来るように、糸の先きに小さい玉がついており、こうしたところから、玉という名称
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