文芸というと、申し合せたように、こういう間違いを繰り返しているんだから仕方がない。ここでもまた繰り返しておきます。
 一八頁に竜之助の言葉として、「如何なる人の頼みを受くるとも、勝負を譲るは武術の道に欠けたる事」とある。剣道とか、武道とかいう言葉はあったでしょう。「武術の道」なんていう言葉は、この時代としては不似合である。
 四十頁の御嶽山で試合をするところ、双方の剣士を呼び出すのに、一方の「甲源一刀流の師範、宇津木文之丞藤原光次」はいい。一方を「元甲源一刀流、机竜之助相馬宗芳」という。これは「平宗芳」というべきはずのところだと思う。たしかにこれは間違っている。同じところにある「音無しの構」というものは、撃剣家の方では、何流にもないという話を聞いている。そういうことは、あるいは小説だけに、勝手に拵えてもいいかとも思われるが、氏名を呼ぶ方は、こういう場合に、姓のほかに在名を遣うことは知らない。一方は立派に源平藤橘の藤原で呼んで、他方も平氏であるのに殊更に在名を呼ぶのは、わけが分らない。これは剣術の流名や何かを、いい加減に拵えるのとは違って、折角書いている小説を、わざわざ嘘らしくしてしまうようなものだ。
 四二頁に「呼吸の具合は平常の通りで木刀の先が浮いて見えます」と書いてあるが、「浮いて見える」という言葉は、普通落着かぬ意味に解せられる。これも用例が違っているように思う。
 五二頁になると、場面は江戸のことになって、本郷元町の山岡屋という呉服屋へ、青梅の裏店の七兵衛という者が訪ねて来る。そうして山岡屋の小僧に向って、「旦那様なり奥様なりにお眼にかゝりたう存じまして」と言っている。また奥様だが、これもいけない。「旦那なりおかみさんなり」と言わなければならぬところです。町家で「奥様」というのは、絶対にあるべからざることで、この近所にいくつも「奥様」という言葉が出てくるが、そんなことは江戸時代には決してない。
 五三頁に「以前本町に刀屋を開いておゐでになつた彦三郎様のお嬢様」ということが書いてある。刀屋を開いている、なんていう言葉も、この時代に不相応なものだ。お嬢様もお娘御と改めたい。
 五七頁になって、七兵衛に連れられて来たお松という小娘が、「そんな筈は無いのよ」と言っているが、これもおかしい。もう十一二になっている娘、今こそ零落している様子ですが、以前は相当の町人であっ
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