尾崎咢堂翁と、それより若いところでは、大谷友右衛門に中里介山さん、ということになってしまった。作者の心がけというものは、決して悪くなかったんだが、少年高科に登ったのが不幸であるように、この『大菩薩峠』の評判がよかったのが、作者にとって幸いであったか、不幸であったか。私はその後も時折作者に会うが、会うたんびに作者はえらい人になっている。それは郷党のために、喜ぶべきことであるかないか、むしろ気の毒なような気もする。
 少年時代のいい話としては、学資を給与するから婿になれ、と富家から求められた時に、それでは学問をした効がないといって郤《しりぞ》けて、独学することにして、長いこと小学校の教員をしておった。こういう心持を持った若い人というものは、現代に求むるに難いところで、この一つの話だけでも、作者の人柄がよくわかると思う。しかるに好事魔多し、『隣人の友』という雑誌を拵えて、時々送ってくれるのを見ると、「大菩薩峠是非」という欄があって、毎号それに賛嘆文を麗々と掲げている。それを眺めて、惜しくない人であれば何でもないが、いかにも惜しい人であるだけに、忍びない心持もする。世間は人を育てて下さって、まことにありがたいものであるが、また人を損ねて下さるものも世間である。近来しきりに作者がいう「上求菩提」はよろしいとしても、「下化衆生」に至っては、作者などのいう文句にしては、少々重過ぎる。それが適当にいえる人が、世界に幾人いるだろうか。礼儀を超えてものを言う。殊に作者に対しては無礼であるかと思うことをも、遠慮なしに言うのは何のためであるか。作者に対する自分の心持と同様の心持の人は、けだし人間にも少いのではないかと思っている。
 余計な話になった。さて一三二頁に「互の気合が沸き返る、人は繚乱として飛ぶ」というのは何のことだろう。散りしく花の花びらででもあったら、繚乱もいいかもしれないが、実に困った言葉だ。この作者もしきりに「平青眼《ひらせいがん》」という言葉を使っているが、大衆作家はどうして揃いも揃って「正眼」を青くするのか。青眼という言葉の意味を、知らないのであろうか。
 それから島田虎之助に向った加藤主税、この両人が斬り合うところに、「鍔競合の形となりました」と書いてある。へぼくたな人間どもなら、かえって鍔競合なんていうこともあるかもしれないが、これは両人ともすぐれた剣客である。殊に
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