であつた。
 伊原さんが勘彌の龍之助を柔らかすぎると云われたのは適評である。米友の槍のはたらきも、ムク犬の動きも吠え聲も皆感心しない。古市の備前屋などは房子の女將が哮々しくしやべるので伊勢らしい氣分が少しも出ない、のつけに出る佐々木積の與八、あれは一體何だ、あんな小ざかしい、利いた風なそのくせ上すべりのした與八を中里君は書いていやしないのに、何の彼のと書きつづつて行くと只々行友李風氏の脚色と、澤田正二郎君の演出とが、一層目の中にちらついて來るばかりである、そのくせ、澤田の大菩薩峠を見た時にも、大分大菩薩峠ばなれがしているなあと思つてにが/\しかつたのだが‥‥
 何にしても、大菩薩峠という小説は、すばらしい苦勞人がすつかり油の乘つた調子で、話上手に任せて世間話をしている心持で綿々として盡くる事なく書かれているのだから、これを請賣しようとするには、大分取捨の必要がある。はじめの話し手の口から聞けば、面白くてたまらぬ話も、これを請賣するとなると、一向にとりとめがつかなくなる、と、そういう意氣のところばかしで全篇を通しているのだから、下手な請賣のしかただと、今度の帝劇の芝居のようなものが出來るのであろう。[#地付き](「騒人」昭和三年三月)



底本:「文藝 臨時増刊 中里介山大菩薩峠讀本」河出書房
   1956(昭和31)年4月6日発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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