の出るのを見送って内へ入る時驚かされた叫声《さけびごえ》『助けてくれ……助けてくれ……殺されそうだ……』と云ったのは書記が必死になって交換局へ救いを叫んだ時だったのだ。今がやがや言っておるのは交換局からの返事だ。警官隊は時を移さず駈け付けて来た。ルパンは四五分とも経たぬ今の先、庭園の方に当って聞こえた人声を思い出した。
『警官だ……さあ出来るだけ逃れるんだ』と云って食堂を駈け出そうとする。
 しかしこの時正気付いたボーシュレーは苦しい声を絞って、
『首領《かしら》。見捨てて行くんですかい、こんなになっておる私《わっし》を……』
 身に迫る危険を捨ててルパンは立ち止った。そしてジルベールに手伝わしつつ負傷者を抱き上げた時、すでに戸外に人の迫った気配。
『失敗《しま》った!』と叫んだ。
 この時家の裏手の入口の戸を割れよとばかりに乱打する。彼等は廊下の戸口へ走った。と見る警官隊は早くも家を包囲して無二無三に突き入ろうとしている。彼はこの隙にジルベールを伴《つ》れて湖水の岸まで逃げようかと思った。しかし逃げたとしても背面《うしろ》からあびせられる敵の砲火にどうして湖水を渡れよう?とそう思うと、彼はつと戸を閉じて閂《かんぬき》を下した。
『もう手が廻ったッ……やられたッ……』とジルベールは狼狽《あわ》てた。
『黙れッ!』とルパンが云った。
 その時、ルパンは石像の様に突立っていた。その顔色は、悠然として全く平静に、その態度は泰然としてあらゆる事象の裡《うち》に形勢の機微を洞察せんとするもののごとく熟慮していた。これぞ彼のいわゆる「無念無想の妙諦」に入《い》る時であって、彼の真骨頭《しんこっとう》を発揮する瞬間であるのだ。身に迫る危険、擾乱《じょうらん》の渦《うずまき》の中に投ぜられた時、彼は静かに『一[#「『一」は底本では「一」]……二……三……四……五……六……』と数を読み初める。かくする事一二分、心臓の鼓動は鎮まって、無念無想の妙境に達する。この瞬間、彼が魔のごとき洞察力、彼が満身の勢力、彼が徹底せる熟慮と深瀾《しんらん》のごとき遠謀とが渾然として湧出して来る。しかしてその澄み切った心鏡に映るあらゆる形勢と現状とに対して、彼は論理的に考察し、確実に予見する事が出来るのであった。
 三四十秒後悠然と落ち着き払った彼は、二人の部下を伴うて、向いの庭に面した窓の框《かまち》を
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