メルジイ夫人の手紙が待っていた。
[#3字下げ]「彼はカンヌで下車し、更に伊太利海岸線にてサンレモへ向います。クラリス」
 サンレモへ行くと駅のボーイが来てゼノアに直行した事を伝えた。
『思えば馬鹿気ている。……俺達は一体何をしているんだ……明後月曜日はジルベールの死刑執行日だ……いっそ巴里《パリー》へ帰って別方面で救出す手段を講じようかしら……どうもそれがよかりそうだ……』と思い付くと彼れは動き出した汽車から飛び降りようとして、『危え、首領!』と二人の部下に抱き止められた。かくてルパンは不安の胸を浪立たせつつ、的もなく果しもない汽車の旅を続けた。……

 風光の明媚をもって世界に冠たる仏蘭西の南海岸ニイスの旅館の一室にクラリス・メルジイは不安らしい顔をして旅の疲れを長椅子に横たえていた。この日、ルパンは果しない旅を伊太利方面に向けて出発していた時である。翌朝、彼女は隣室へ忍び込んだ。云わずと知れたドーブレクの室である。室の中には目指す品物は無かったが、捜していると、後方から突然、
『ハハハハ、品物は見付かったかね?』
 ハッと思って振り返れば外出したはずのドーブレクが、皮肉な笑いを邪淫の口辺に洩しながら突立っていた。彼女の身体は谷《きわ》まった。しかもルパンは来ぬ。否行方すら解らない。
 ドーブレクは悠々として驚くクラリスを尻目にかけつつ、彼の計画を語った。彼は反対にクラリスを尾行していたのであった。しかも部下を使ってルパン等に偽手紙と偽口伝をを残さしたのであった。兇悪奸譎な代議士のためにルパンは不知の境に徘徊させられているのだ。あわれ夫人、彼女は孤立無援、しかも恐るべき悪魔の手に陥ってしまったのだ。
 常勝将軍をもって誇る彼アルセーヌ・ルパン今は惨憺たる敗北また敗北、敵のために思うがままに翻弄され尽して、しかもそれを自覚せず、今頃はどこの空に、クラリスの跡を尋ねているのだろうか。
 薄命の夫人が悲惨な運命の最後は来た。不倶戴天の仇敵の前に、今は最後の膝を屈しなければならなかったのだ。ドーブレクは次第に迫って来る。今は絶体絶命! もはや抵抗する力も失せてただ死――観念の眼を閉じた。
『ああ、ジルベール……ジルベール……』と口の中で呟いた。
 と不思議! 迫り来べき敵は一歩も進まなくなった。五秒……十秒……二十秒……ドーブレクは動こうともしない。
 クラリスは恐る恐
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