し彼に散佚したものは亦我にも散佚する。書籍の運命さへ兩者同一である。つまり唐の學問や學制を採用したから、其結果も同樣であつたことが分つて、中々面白いのである。第四の點は前に述べた事と、少々矛盾する樣ではあるが、或書籍によると彼に散佚したものが我に殘つてゐるものがある。それは流行不流行の論でなく、我國では支那の如く兵火の厄があつても、比較的慘劇でないから、縉紳の家とか佛刹などに傳へられた珍籍が多い、これは申す迄もなき事なるが、結局これを研究するには佐世の書目が必要となつて來る。如何となればこれによつて或書が早く我國に傳つて居たと云ふ事を證明するからである。近來支那の學者間に此書を矢釜敷云ふ樣になつたのもこれからである。
 予が述べたのは、結局この書目は本の一小册子に過ぎないけれども、經籍研究の上今尚實用をなすこと多きと同時に、王朝に於ける漢學が如何なる状態であつたかと云ふ事が分る。見樣によつては中々面白いもので、唯書名を羅列した乾燥無味の目録書の比ではない。猶此中にある書名につき、これを隋唐志に考へ其の存佚を覈にし、漢書藝文志考證若しくは隋書經籍志考證と同樣の書を作る人があつたら其學術に稗益する[#「稗益する」はママ]ことは決して鮮少でないと思ふのである。
[#地から1字上げ](明治四十三年四月、藝文第一年第一號)



底本:「支那學文藪」みすず書房
   1973(昭和48)年4月2日発行
底本の親本:「支那學文藪」弘文堂
   1927(昭和2)年
初出:「藝文 第一年第一號」
   1910(明治43)年4月
※底本巻末の補注には、「…「鄭賈等の注によつて」とあるが、此の文脈では鄭服に作るがよいであろう」とあります。
入力:はまなかひとし
校正:染川隆俊
2009年7月8日作成
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