。然るに、規則はかうであつても、學生の方から云へば、已に正義と云ふ立派なものがあるから、態々艱深な鄭賈等の注によつて本文を研究するには及ばぬ。一體唐は詩賦文章の時代で、經學の如き肩の凝るものは嫌ひであつた。つまり經書を讀むも試驗に及第して官途に出るのが目的であるから、分り易くなつて居る正義を通じて一通り心得てさへ居ればよいので、其以外のものは餘程世間と遠ざかつた變りものでなくては研究せなかつた。そんな具合で唐の時には、其書はあつても、後に亡んで仕舞つたものが多い。我國とても全くさうであつて、唐人さへやらないものを誰れが心血を注いで研究などをしよう、それよりも詩歌管弦の方が餘程面白かつたのである。それであるから我國でも正義以外の經書は人の讀むものなく、信西入道藏書目録などになると殆んど此等の書を載せて居ない。結局其時分には已に散佚した事が分る。又藤原頼長の如きは當時博覽を以て稱せられ、學問にも餘程骨を折つた人で、台記を見ると一一その讀んだ書名が載せてあるが、幾んど正義の範圍を出ない。結局この時代には已に前に述べたる正義以外のものはなかつた事が分る。換言すれば彼に流行するものは亦我にも流行
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