の貿易と云ふ樣な事をやらうと云ふ人があつたらどうか支那文化の學術的研究と云ふ事は六ヶ敷としても、只實業の點から考へて見ても今日まで我國の人に考へられた支那智識より以上の支那智識を得て支那に於て仕事をせられん事を希望する、然らば其諸君の目的とせらるゝ處の商業其ものに就ても非常に利益する事ではあるまいかと思ひます。
私は講演が極く拙劣で話を致しまする者も非常に苦しいので傾聽して下さる方は定めし更に御つらいと思ひます、極めて論點が支離滅裂で御解りにくい事と思ふのであります、一場の講演によつて私は責だけを塞ぐ事に致します。(拍手)[#地付き](大正十四年二月、和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號)
底本:「支那學文藪」みすず書房
1973(昭和48)年4月2日発行
初出:「和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號」
1925(大正14)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「餘」と「余」の混在は底本通りにしました。
入力:はまなかひとし
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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