。一體支那人は個人本位で個人の體面とか禮儀を重んずる事に於て鋭どい感じを持つてゐる之を缺くと非常な侮辱と感ずる、其代り國としては大した侮辱を感じない、例へば支那の人に向つてお前の國はいけないと云つても自分は其國民でありながら侮辱せられた感じを起さない、而し個人に對しお前の態度が惡いといつたら吾々日本人が他人よりさう云はれた場合の感じより一層ヒドイ感じを生ずる樣である。
吾々は外交の事は薩張り知らんが二十一ヶ條と云ふ樣な事が排日の原因の一つであるが、然らば二十一ヶ條とは何かと支那人に尋ねたら其一ヶ條も知らん人間が澤山ある、而し只二十一ヶ條と云ふだけで吾々を侮辱したと云ふので名義と云ふ上より非常に惡い印象を與へてゐる。
結局彼等は其所謂體面といふことに鋭どき感を有つて居るが、それが支那の國民性でありますが、此國民性と云ふものは一朝一夕で出來たものでなく、御承知の通り支那の歴史と云ふものは四千有余年以來續いて居るので支那の事を知らんとすれば其初に溯ぼつて研究しなければならん、云ひかへれば即ち古典は支那文明の結晶で、あれが基で今日の文明を來たしたのであります、例へば婚禮は支那風俗の一つの現
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