つて、學堂に於て之を嚴禁すべしといふのである。少し話が横路にそれるけれど、其の下に所謂新名詞を列べて區別して居る。即ち第一は卑俗にして雅馴ならざるもので國體、國魂、膨脹、舞臺、代表等である、第二は支那でも從來使はないことはないが、意義が違ふもので犧牲、社會、影響、機關、組織、運動等は是である。第三は意味の分らぬ事はないけれども、必ず使用せぬとも宜しいもので、之は報告、困難、配當、觀念等の熟語である。學堂でかゝる禁令を出したけれども、中々實行は出來ぬ。又之を禁ずるなどいふ事は、抑々無理である。併し又一方より考ふれば「吾輩は應さに二十世紀の舞臺に活動して國家の膨脹を圖るべし」とか「生命を犧牲にして中國魂を發揮すべし」などいふ語の入つて居る文章を見せらるゝと、吾輩日本人でも支那古典的趣味の上から甚だ感心は出來ぬ。かゝる文章を讀むと誠に恐縮するが、支那の新學家は却て得意そうにやつて居る。これは熟字の使用に就いて言つたことだが、今一つは文章の構造で外國文と支那文の構造は全く違つたものであるのに、若し外國文直譯體など用ゐたら、それこそ大變で國文は其爲め純粹な形式を失ひ、中國の學術風教も亦將さに隨つ
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