張百熙、榮慶及び湖廣總督張之洞の三人が勅命を奉じて大學堂以下各省諸學堂の章程を釐定し十一月に裁可を得た。其後多少の變更はあつたかも知らぬが、現今支那の諸學堂は之に本づいて立てられて居ると見て差支ない。そして能くこの章程を見ると中々面白い事がある。即ち初めに全國學堂總要といふものがあつて學堂教育の心得を示してあるが、第一に學校では最徳育に重を置き、教員たるものは授業に當り隨時指導し、曉すに尊親の義を以てし、一切の邪説※[#「言+皮」、181−17]詞は極力排斥しなくてはならぬとある。又中小學は學問の根底を作る處だから、學科のうちにても殊に讀經に重を置き以て聖教を存すべしといひ、其説明に「外國學堂有[#二]宗教一門[#一]。中國之經書。即是中國之宗教。若學堂不[#レ]讀[#二]經書[#一]。則是堯舜禹湯文武周公孔子之道。所謂三綱五常。盡行[#二]廢絶[#一]。中國必不[#レ]能[#レ]立[#レ]國矣。學失[#二]其本[#一]則無[#レ]學。政失[#二]其本[#一]則無[#レ]政。其本既失。則愛[#レ]國愛[#レ]類之心。亦隨[#レ]之改易矣。安有[#二]富強之望[#一]乎。」云々とある。そ
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