ン》の一時で、聯軍進城兩宮蒙塵等の事があつた爲め愈※[#二の字点、1−2−22]古來の陋習を破り、西洋の文明を採つて富強を圖るの必要を感じ、從來康梁の議論には不贊成であつた人も、漸く穩健着實な改革意見を發表し、君臣一意、諸種の改革を實行した。が、時勢は彼等を驅つて益※[#二の字点、1−2−22]其範圍を大ならしめた。單に教育の方面から云つても科擧を廢し學堂を興し又留學生を東西兩洋に派遣するなど、誠に盛んなものであつた。
かく清國朝野が西洋の文物を尊重し、之れを採用するに汲々たる時に當り、古來自國の學術禮教に對して如何なる態度を取つて居たか。吾人は明に二の潮流を認むることが出來る。即ち一は極端な新學心醉者であつて、彼等は支那固有の學術は價値ないものだから、宜しく之れを全廢すべしといひ、聖經賢傳中にある中國の禮教に對して懷疑の立場にあつた。吾人は嘗つて支那新聞に或日本の倫理學教科書の飜譯が出た時の廣告文に今や支那に於て舊道徳已に衰へて新道徳將に興らんとしつゝあり、西洋の倫理學説に耳を傾けんと欲する人士は必ず一本を購ひ坐右に備へざるべからずといふ意味の文句があつたのを見た。また支那從來の風
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