屬家人之物、三、本人子孫所[#二]自得[#一]之物を擧げて居る。これに就き、張之洞などの意見によれば、支那從來の道徳では親親といふ事が一番大切で、祖父母父母存生のうちに、其子孫なるものが、別に戸籍を立て、財産を分けるといふ如きは、非常に惡いことゝ考へられて居る。これは獨り道徳上許されざるのみならず、舊律では之を罪して居る。大清律例に十惡の條があつて、不孝は其一であるが、不孝といふ所の細注に分産を以て其一例としてある。然るに新法典によると、明に父子兄弟夫婦の異産を認めて居るは不都合極まる話であるし、又實際の處、今日支那の社會では、一家の財産中で、これは戸主のもの、これは父母のもの、妻のものと區別されて居ないから、此の規則は獨り數千年養成し來つた善良の風俗を破壞するのみならず、實際に行ふことは困難である。それから新法典には辯護士の規定があつて、凡律師倶准[#下]在[#二]各公堂[#一]。爲[#レ]人辨[#上レ]案としてあれど、從來支那では一般に訴訟といふもの餘り善い事となつて居ない、又實際地方では人の爲め訴訟に干預するものは訟師若しくは訟棍など稱する公事師であつて、此等は無智な人民を煽動して訴訟を起させ、これに藉つて金錢を貪ぼり社會から蛇蝎の如く嫌はれて居る。東西文明諸國の律師は皆學校で專門の智識を養つたもので、又一定の試驗をして合格者より採用するから、何等の弊害はないけれど、支那現在の程度では、學問あり品格ある律師を得ることは到底不可能である。結局この制度を實行せんとせば、唯從來訟師、訟棍などいつて社會の擯斥をうけて居た無頼の劣紳に、種々の惡事を働く機會を與ふるに過ぎず、又兩造に貧者と富者とあつたら、富者は律師に依頼するを得れども、貧者は親ら公堂に到り口舌を以て之と爭はざるべからず、貧者は直にして敗れ、富者曲にして却て勝を得るに至らん。又新法典には陪審制度を採つて居るが、この制度は英吉利に※[#「日+方」、第3水準1−85−13]まつたもので、英人は公徳を重んずる國民であるから、この制度も益あつて損ないかも知れぬが、法徳諸國のこれに※[#「にんべん+方」、第3水準1−14−10]ふものは、已に流弊の多きに苦しむ次第で、日本さへまだ此の制度を用ゐるに至らぬ。況んや前に述ぶる通り、西洋人の如く法律思想が發達して居らず、訴訟を以て罪惡の如く考へ、公堂を以て紳士の妄に入るべき
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