ぶせ、いずれわたしを食べる時に無事に辻褄を合せるつもりだ。衆《みな》が一人の悪人を食った小作人の話もまさにこの方法で、これこそ彼等の常用手段だ。
 陳老五は憤々《ぷんぷん》しながらやって来た。どんなにわたしの口を抑えようが、わたしはどこまでも言ってやる。
「お前達は改心せよ。真心から改心せよ。ウン、解ったか。人を食う人は将来世の中に容れられず、生きてゆかれるはずがない。お前達が改心せずにいれば、自分もまた食い尽されてしまう。仲間が殖《ふ》えれば殖えるほど本当の人間に依って滅亡されてしまう。猟師が、狼を狩り尽すように――虫ケラ同様に」
 彼等は皆陳老五に追払われてしまった。陳老五はわたしに勧めて部屋に帰らせた。部屋の中は真暗で横梁《よこはり》と椽木《たるき》が頭の上で震えていた。しばらく震えているうちに、大《おおい》に持上ってわたしの身体の上に堆積した。
 何という重みだろう。撥ね返すことも出来ない。彼等の考は、わたしが死ねばいいと思っているのだ。わたしはこの重みが※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]《うそ》であることを知っているから、押除《おしの》けると、身体中の汗が出た。しかしどこまでも言ってやる。
「お前はすぐに改心しろ、真心から改心しろ、ウン解ったか。人を食う奴は将来容れられるはずがない」

        一一

 太陽も出ない。門も開かない。毎日二度の御飯だ。
 わたしは箸をひねってアニキの事を想い出した。解った。妹の死んだ訳も全く彼だ。あの時妹はようやく五歳になったばかり、そのいじらしい可愛らしい様子は今も眼の前にある。母親は泣き続けていると、彼は母親に勧めて、泣いちゃいけないと言ったのは、大方自分で食ったので、泣き出されたら多少気の毒にもなる。しかし果して気の毒に思うかしら……
 妹はアニキに食われた。母は妹が無くなったことを知っている。わたしはまあ知らないことにしておこう。
 母も知ってるに違いない。が泣いた時には何にも言わない。大方当り前だと思っているのだろう。そこで想い出したが、わたしが四五歳の時、堂前に涼んでいるとアニキが言った。親の病には、子たる者は自ら一片《ひときれ》の肉を切取ってそれを煮て、親に食わせるのが好《よ》き人というべきだ。母もそうしちゃいけないとは言わなかった。一片食えばだんだんどっさり食うものだ。けれどあの日の泣き方は今想い出しても、人の悲しみを催す。これはまったく奇妙なことだ。

        一二

 想像することも出来ない。
 四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年《ながねん》その中に交っていたのだ。アニキが家政のキリモリしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に交ぜて、わたしどもに食わせた事がないとも限らん。
 わたしは知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよ乃公の番が来たんだ……
 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。

        一三

 人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。
 救えよ救え。子供……
[#地から2字上げ](一九一八年四月)



底本:「魯迅全集」改造社
   1932(昭和7)年11月18日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「彼奴→あいつ 貴郎→あなた 或→ある・あるい(は) 如何なる→いかなる 〜戴く→〜いただく 一体→いったい 〜置→〜お 恐らく→おそらく か知ら→かしら 屹度→きっと 位→くらい 〜呉れ→くれ 此奴→こいつ 殊更→ことさら 此間→こないだ 此→この 〜御覧→〜ごらん 偖て→さて 〜仕舞う→〜しまう 〜知れない→〜しれない 頗る→すこぶる 折角→せっかく 其(の)→その 大分→だいぶ 沢山→たくさん 只→ただ 忽ち→たちまち 〜給え→〜たまえ 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 何処→どこ 迚も→とても 中々→なかなか 筈→はず 只管→ひたすら 程→ほど 正に・将に→まさに 況して→まして 先ず→まず 又、亦→また 未だ→まだ 丸切り→まるきり 丸で→まるで 萬更→まんざら 〜見た→〜みた 若し→もし 〜貰う→〜もらう 矢張(り)→やはり 僅に→わずかに」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(上村要)
校正:京都大学電子テクスト研究会(高柳典子)
2004年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作
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