かったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿《は》げ、驢《ろ》……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤《いきどお》りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖《づえ》だ――大跨《おおまた》に歩いて来た。この一|刹那《せつな》に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引締《ひきし》め肩を聳《そびや》かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側《そば》に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響《ひびき》のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門口《かどぐち》まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった
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