に掛け、斤目によって名前を附ける。九斤老太は五十の年を祝ってから、だんだんと不平家になった。彼女はいつも若い時の事をはなして、天気はこんなに熱くはなかった、豆はこんなに硬くはなかった、と、なんでも皆、今の世の中が悪くて昔の世の中がいいのだ。まして六斤は彼の祖父の九斤に比べると三斤足りない。彼の父の七斤《しちきん》に比べると一斤足りない。これこそ本当に正真正銘の事実だから彼女は、「代々落ち目になるばかりだ」と固く言い張るのである。

 七斤ねえさんというのは、彼女の倅の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》である。その時七斤ねえさんは飯籃《めしかご》をさげて卓《テーブル》の側《そば》に行き、卓上に飯籃を投げ卸してプリプリ腹を立てた。「おばあさん、またそんなことを言っているよ。内の六斤が生れた時には六斤五両ありましたよ。内の秤は自家用の秤ですから掛目があらくなっているので、十八両が一斤です。もし十六両秤をつかえば六斤は七斤余りになります。わたしはそう思うの。曾祖父《ひいじいさん》や祖父《おじいさん》はきっと十四両秤をつかったんですよ。普通の秤に掛ければ、せいぜい九斤か八斤くらいのものです」
「代々落ち目になるばかりだ」九斤老太は同じ事を繰返した。
 七斤ねえさんはこれに対してまだ答えもせぬうちにたちまち七斤が露路口《ろじぐち》から現われた。そこで彼女は夫に向って怒鳴りつけた。
「お前さん、なんだって今時分帰って来たの。どこへ行ってけつかったの。人がお前の御飯を待っているのが解らねえのか。この馬鹿野郎!」

 七斤は田舎に住んではいるが少しく野心を持っていた。彼の祖父から彼の代まで三代|鋤鍬《すきくわ》を取らなかった。彼もまた先代のように人のために通い船を出していた。毎朝一度|魯鎮《ろちん》から城へ行って夕方になって帰って来た。そういうわけでなかなか世事に通じていた。たとえばどこそこでは雷公《かみなり》が蜈蚣《むかで》のお化けを劈《さ》き殺した。どこそこでは箱入娘が夜叉のような子を産んだ。というようなことなど好く知っていた。彼は村人の中では確かにもう指折の人物になっていた。けれど夏は燈火《あかり》のつかぬうちに食事をするのが農家の慣わしであるから、帰りが遅くなって嚊《かかあ》に小言をいわれるのは無理もないことである。
 七斤は象牙の吸口と白銅の雁首の附いている六
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