荘にいくらかお金を出して一緒に芝居を打つのである。その時分わたしは、彼等が何のために毎年《まいねん》芝居を催すか、ということについて一向|無頓著《むとんじゃく》であったが、今考えてみると、あれはたぶん春祭《はるまつり》で里神楽《さとかぐら》(社戯《ツエシー》)であったのだ。
とにかくわたしの十一二歳のこの一年のその日はみるみるうちに到著した。ところがその年は本当に残念だった。早く船を頼んでおけばよかったのに、平橋村にはたった一つ大きな船があるだけで、それは朝出て晩に帰る交通機関で、決してよそ事には使えなかった。そのほか小船はあるにはあるが、使い途《みち》にならない。隣の村に人をやって訊いてみたが、もうみんな約束済であいてる船は一つもない。外祖母は大層腹を立て、なぜ早く注文しておかないのだ、と家《うち》の者を叱り飛ばした。母親は外祖母を撫《なだ》めて、「わたしども魯鎮は、小さな村の割合に芝居を多く見ているのですよ。一遍ぐらいどうだっていいじゃありませんか」と押止《おしとど》めた、だが、わたしは泣きだしそうになった。母親は勢限《せいかぎ》りわたしをたしなめて、「決していやな顔をしちゃいけませんよ。おばあさんが怒ると大変です」と言って、それから誰《たれ》とも一緒に行《ゆ》くことを許さなかった。「おばあさんに心配させるものではありません」とまたあとで言った。
それはそれでとにかくおさまったが、午後になるとわたしの友達は皆行ってしまった。芝居はもう開《あ》いているのだ。わたしは遠音《とおね》に囃《はやし》を聞いて、「今頃は友達が舞台の下で、豆乳を買って食べてるな」と想った。
その日は一日、釣りにも行《ゆ》かず物もあまり食べないで母親を困らせた。晩飯の時分には外祖母もとうとう気がついて、この子がすねるのも無理はないよ。あの人達はあんまり無作法だ。お客に対する道を知らないといって嘆息した。
飯を食ってしまうと、芝居を見に行った子供達は皆帰って来た、そうして面白そうにきょうの芝居の話をした。ただわたしだけは口もきかずに沈んでいると、彼等は皆嘆息して気の毒がった。
雙喜《そうき》という子供は中でも賢い方であったが、たちまち何か想い出して、「大船ならあれがあるぜ。八叔《はちおじ》の通い船《ぶね》は、帰って来ているじゃないか」
十幾人のほかの子供はこの言葉に引かされて勇み立ち
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