第二囘はいつのことだか忘れたが、とにかく湖北《こほく》水災|義捐《ぎえん》金を募集して譚叫天《たんきょうてん》がまだ生きている時分だ。その募集の方法は、二|元《えん》の切符を買って第一舞台で芝居見物をするので、そこに出る役者は皆名人で、小叫天《しょうきょうてん》もその中にいた。
わたしが切符を一枚買ったのは本来、人の勧めに依った責め塞げであったが、それでも誰か、叫天の芝居は見ておくものだ、といったことがあったらしく、前年のドンドンガンガンの災難も忘れてつい第一舞台へ行って見る気になった。まあ半分は、高い価《あたい》を出した大事の切符を使えば気が済むのでもあった。
わたしは叫天の出る幕が遅いと聞いていたので、第一舞台は新式の劇場だから座席を争うようなことはあるまいと、わざと九時まで時を過してやっとこさと出て行った。ところが、その日も相変らず人が一杯で、立っているのも六ツかしいくらい。わたしは仕方なしに後方の人込《ひとご》みに揉まれて舞台を見ると、ふけおやまが歌を唱《うた》っていた。その女形《おんながた》は口の辺に火のついた紙捻《こより》を二本刺し、側に一人の邏卒《らそつ》が立っていた。わたしは散々考えた末、これは目蓮《もくれん》の母親らしいな、と想った。あとで一人の和尚が出たから気がついたので、さはいいながら、この役者が誰であるかを知らなかった。そこでわたしの左側に押されて小さくなっていた肥えた紳士に訊いてみると、彼はさげすむような目付でわたしを一目見て、「※[#「龍/共」、第3水準1−94−87]雲甫《こううんほ》」と答えた。わたしはひどく極《きま》りが悪くなって顔がほてって来た。
同時に頭の中で、もう決して人に訊くもんじゃないと思った。そこで子役を見ても、女形《おやま》を見ても立役《たてやく》を見ても、どういう質《たち》の役者が何を唱っているのか知らずに、大勢が入り乱れたり、二三人が打合ったり、そんなことを見ている間に九時から十時になった。十時から十一時半になった。十一時半から十二時になった。――そうして叫天はとうとう出て来なかった。
わたしは今まで何事に限らずこんなに我慢して待ったことはなかった。いわんやわたしの側にいた紳士はハーハー息をはずませて肥えた身体《からだ》を持てあましていた、舞台の上のどんちゃん、どんちゃんの囃《はやし》や、紅《あか》や緑のま
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