もちろんどうでもいいのだ。そのわけは? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆棒《べらぼう》な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左《さ》のような意味があるかもしれない。聖廟《せいびょう》の中のお供物のように、阿Qは豬羊《ちょよう》と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張《いば》っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王※[#「髟/胡」、133−4]《ワンウー》がもろ肌ぬいで虱《しらみ》を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒《がゆ》くなった。この王※[#「髟/胡」、133−5]は禿瘡《はげがさ》でもある上に、※[#「髟/胡」、133−6]《ひげ》をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡《はげがさ》の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考《かんがえ》では、外《ほか》に格別変ったところもないが、その顋《あご》に絡まる※[#「髟/胡」、133−7]《ひげ》は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側《そば》へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王※[#「髟/胡」、133−9]の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷《あわせ》を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉《とら》まえた。彼は王※[#「髟/胡」、133−12]を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛《ほう》り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王※[#「髟/胡」、133−14]なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大《おおい》に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫《ひね》り出
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