の方へとはいって行《ゆ》くと、偶然、庭の方へ通じてる勝手口を発見した。半月刀のような月は嵐の名残の雲を払いつくして皎々たる光を庭中の隅々に投げていた。彼はその時青い服を着た丈《せい》の高い姿が芝生を横ぎって主人の書斎の方へ大股に歩いて行《ゆ》くのを見た。軍服の襟や袖に銀白色に輝く月光の一閃で、それは司令官のオブリアンであることがわかった。
その人影は仏蘭西《フランス》式の窓をくぐり抜けて、建物の中へ消え去った。ガロエイ卿を苦々しいような、または茫漠としたような、一種不思議な気分の中に取残して、劇場の場景のような銀青色の庭は何だか彼を嘲ってるように思われた。オブリアンの大股な洒落者らしい歩みぶり――ガロエイ卿は自分は父親ではなく、オブリアンの恋敵でもあるような気がして、腹が立った。月光は彼を狂わしくした。彼は魔術にかけられてワトオ(フランスの画家)の仙女の国に遊ぶような気がした。それで、そうした淫蕩な妄想を振落したいものと思って、彼は足早く敵《かたき》の跡を追うた。すると草の中で木か石のようなものに足を引掛けた。つぎの瞬間、月と高いポプラの樹とがただならぬ光景を見下ろしていた――英国の老外交官が大声を張りあげて喚きながら走って行く姿を。
彼の嗄《しゃが》れた叫声《さけびごえ》をききつけて一つの青い顔が書斎の戸口に現われた、シモン博士の光った眼鏡と心配気な眉毛が、博士はガロエイ卿の叫声をききつけた最初の人であった。ガロエイ卿はこう叫んでいた。
「草ッ原に死骸が――血みどろの死骸が!」オブリアンの事等は少なくとも、彼の心から全く消え去ってしまっていた。
「ではヴァランタンに伝えなくてはなりますまい」と博士は相手が実見した事実を途ぎれ途ぎれに語った時、こういった。「しかし警視総監その人がここに居られるのは何より幸せです」
彼がこういっている時に、大探偵のヴァランタンが叫声を聞きつけて書斎へはいって来た。彼は来客中の誰か、あるいは召使が急病をでも起したのではないかと気遣って、一家の主人または一個の紳士の懸命をもって駈付けたのだ。戦慄すべき凶事のことをきかされて、彼の威厳はたちまちに職業柄の活気を呈して来た。なぜならばいかにそれが戦慄すべき突発事なりとも、これは彼の仕事であったから。
「不思議ですなア、皆さん」一同が急いで庭へ下り立った時ヴァランタンは云った。「世界中至るところに犯罪を探り歩かねばならぬ私が、今それが自分の家の裏口から事件が起ったのですからな。だが場所はどこですか?」
一同は芝生を横ぎった。河から夜霧が淡々《あわあわ》立ち始めていたので歩行はあまり楽ではなかった。けれどもブルブル慄《ふる》えているガロエイ卿の先導で、彼等はやがて草地の中に横たわっている死体を見付け出した。――非常に丈《せい》の高い、肩幅の広い男の死体。彼は俯伏になっているので、大きな双の肩が黒い着物に包まれていることと、褐色の頭髪が、濡れた海草のようにほんの少しくっついている大きな禿頭のあることだけしか解らなかった。紅い血が突伏した顔の下から蛇のように流れていた。
「とにかくこれは吾々の連中ではない」とシモン博士は深い、奇妙な調子でいった。
「検《あらた》めて下ださい、博士」とヴァランタンがやや鋭い声でいった。「まだ息があるかもしれませんからな」
博士は蹲《しゃ》がんだ。「まだいくらか温味《ぬくみ》があります、しかし息はもう絶えているようです。持上げますからちょっと手伝って下さいませんか」
一同は注意深く死体を地上からちょっとばかり起した、それで、生きているか死んでいるかの疑は直ちに怖ろしくも解決された。首がコロコロと転がって行った。首は胴からスパリときられていたのだ。さすがの総監さえもこれには思わずギクッとした。
「加害者はゴリラのように馬鹿力があったに相違ない」彼は呟くようにいった。
解剖上の醜悪なものにはいかに慣れている博士さえも身顫《みぶる》いを禁じ得ずに、首を取上げてみた。頸部と前顎に滅多斬りにきりつけた痕があるだけで、顔面は大体無傷であった。顔は鈍重で黄色く肉が落ちこんでいてしかもむくんでいた。鷹の嘴《くちばし》のような鼻と部厚な唇とがついていた。古代ローマの虐帝の顔にも似ていれば、支那皇帝の顔にも少しは似ているようだった。その外に特に眼をひくものはなかったが、ただ皆んなで死体を起した時、赤い血にまみれた白いシャツの胸が見えた。この男はシモン博士のいったように、この晩餐会の客ではない。が、今晩出席するはずの客であったに相違ないことは服装が夜会服である事で解った。
ヴァランタンは四つん匍《ばい》になって、おそろしく細密な職業的な注意を払って、死体の附近二十|碼《ヤード》四方の叢《くさむら》や地面を検《しら》べた。博士も下手ながら英
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