体を発見されたんではない。諸君はあの庭で、見も知らない死体を発見されたんではない。シモン博士の推理に反対して、わしはベッケルという小男はほんの一部分だけここに存在したという事を断言しますぞ。これを見なされい!」と黒衣の疑問の死体を指さしながら「諸君は諸君の生涯の中に決してその男に会いはしなかった。諸君はかつてこの男に会った事がおありじゃろうか?」
彼は手早く見知らぬ黄ばんだ禿頭を転がして、その跡へ白髪首をあてがった。すると、そこにジュリアス・ケイ・ブレインの姿がそっくりそのまま出来あがった。
「加害者は」とブラウンは静かに語を続けた、「彼の敵の首を斬ってから刀を塀の向うへ投げ捨てた。けれども彼は悧巧であったから刀ばかりを投げはしなかった。そこで犯人はまたその首をも塀の外へ投げおった。それから彼は外の首を死体にあてがっておいた。そこであなたがたには全く別人のように思われたんじゃ」
「他の首をあてがったんですと!」オブリアンが眼を丸くして云った。「他の首とはどんな首ですか? まさか庭の草の中に首が生えたんじゃないでしょう?」
「いや」と師父ブラウンは嗄れ声で云いながら、足許を見つめて、「首の出来る所はただ一ヶ所ほかない。それは断頭台上の籠の中でな、そのそばに署長のヴァランタンさんが、兇行前一時間とは経たん前に立っておられたんじゃ。まあ、皆さん、わしを八ツ裂にする前に、もうちょっとの間わしの云う事を聴いてもらわんならんよ。論証し得べき原因で気がふれるのが公明正大だと云わるるならばですな、ヴァランタンさんは公明正大な方である。なれどもあなたがたは総監の冷やかな灰色の眼を見て気が狂ってるわいと気づかなんだですかな? 彼は十字架を迷信と呼んでな、それを打破するためには、いかなることでもやりかねなんだ。彼はそのために戦い、そしてそれのために渇求し、そのために殺人をしおったのです。ブレインさんが気狂いのように、幾百万の財を撒き散らしたが、それはあらゆる宗派に亘っとるので、決して不公平はないはずじゃ。しかしヴァランタンさんはブレインさんが[#「ブレインさんが」は底本では「ブイレンさんが」]、世の多くの気の散りやすい懐疑家と同じように、わし等の方へ漂って来おるという噂を耳にはさんだ、しかしそれは全く別の話であったんだが。とにかくブレインさんは疲弊してまた喧嘩好きな仏蘭西《フランス》教会に多大の補助を与えおった。かと思えば、『断頭台《ラギュイヨチーン》[ルビの「ラギュイヨチーン」は底本では「ラギュイヨケーン」]』の如き国家主義の新聞をも後援しおった。それで双方共怨みはないはずじゃのに、ヴァランタンさんはとうとうばく発してしもうてな、あの富豪の命を取ろうと決心してさすが大探偵らしい手段を取るに至ったわけですがな。彼は犯罪学上の研究に資せんがためとか何とかいう理由で、かの処刑されたベッケルの首を持帰った。それから食後、ブレインさんを相手に最初の議論をしてそれはガロエイ卿も最後まではその議論を聞かれなんだが、それに負けて、相手を密閉室のような奥庭へ誘い込んだ上で、撃剣術の話をして、軍刀と樹の枝を実地に使用して見せて、それから――」
イワンがいきなり跳上った。
「この狂人《きちがい》ッ」と彼は大喝した。「サア御主人様の所へ行《ゆ》け、たとえ貴様をひっ掴んでも連れて行《ゆ》くから――」
「待て待て、わしはそこへ行《ゆ》こうと思うとるところじゃ」とブラウンは平然としていった、「わしはあの方に白状してもらわにゃならん、それで事ずみじゃ」
一同は気の毒なブラウンを人質か犠牲《いけにえ》のように引立て、急にひっそりになったヴァランタンの書斎へなだれ込んだ。
大探偵は机に向って、一同がはいって来るのも聞こえねげに、仕事に熱中しているかと見えた。一同はちょっと立留った。がその硬直したような上品な後姿を見ていた医者のシモン博士は何と思ったか突然前方に走りよった。ひと目見、ちょっと触ってみて、ヴァランタンの臂《ひじ》のそばに丸薬入りの小函があることを見た、人々はヴァランタンが椅子の中に冷たくなっている事を知った。
底本:「世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚」平凡社
1930(昭和5)年3月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「貴方→あなた 彼奴→あやつ・かやつ 有難う→ありがとう 或いは→あるいは 如何→いか 何時→いつ 一っぱい→いっぱい 於て→おいて 恐らく→おそらく 仰有る→おっしゃる お早う→おはよう 拘らず→かかわらず 曽て→かつて 可なり→かなり 屹度→きっと 位→ぐらい 斯う→こう 此処→ここ 御座います→ござ
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