ウンが仄暗《ほのくら》い樹苑《じゅえん》を通って城影《じょうえい》の下に来た時、空には厚雲《あつぐも》がかぶさり、大気は湿っぽく雷鳴が催していた。緑ばんだ金色の夕映《ゆうばえ》の名残を背景にして黒い人間の姿が影絵のように立っているのを彼は見た。妙な絹帽《シルクハット》をかぶった男で肩に大きな鋤《すき》を担いでいる。その取合せが妙にかの寺男《てらおとこ》を思わせた。師父ブラウンはその聾の下男が馬鈴薯を掘るという事をふと思い出して、さてはその訳がと合点したのであった。彼はこの蘇格蘭《スコットランド》の百姓がどうやら解けたと思った。官憲の臨検に対する故意から黒帽《こくぼう》をかぶらなければならんと考えたのであろう心持《こころもち》も読める、――
 そうかと言ってそのため馬鈴薯掘りは一時間たりとも休もうとはしない倹約心《けんやくしん》も解った。坊さんが通りかかると吃驚《びっくり》して迂散臭《うさんくさ》そうな眼付をしたのもこうした型の人間に通有な油断のない周当さを裏書するものである。正面の大戸がフランボー自身によって開かれた。側には鉄灰色《てっかいしょく》の頭髪をした痩せぎすな男が、紙片《かみきれ》を手にして立っていた。倫敦《ロンドン》警視庁のクレーヴン警部だ。玄関の間《ま》は装飾の大部分が剥がれてガランとしていた。がこの家《うち》の陰険な先祖の仮髪《かつら》をかぶった蒼白いフフンというような顔が一つ二つ古色蒼然たる画布の中から見下《みおろ》していた。二人について奥の間へはいって行くと、ブラウンは二人が長い柏材《かしわざい》の卓子《テーブル》に席をしめていた事をしった。テーブルの一方の端には走書《はしりがき》のしてある紙片《かみきれ》がひろがっており、そして側にはウイスキー瓶と葉巻とが載っている。その他《た》の部屋には所々バラバラに物品が列べられてある。正体の何といって説明のつかない品ばかりである。あるものはキラキラ光る砕《こわ》れ硝子の寄集めのようである。あるものは褐色の塵芥《じんあい》の山のように見える。あるものはつまらぬ棒切れのように見えた。
「ホウまるで地質学展覧会を開業している様じゃなあ」とブラウンは腰を下《おろ》しながら、褐色の塵芥や硝子の破片の方へ頭をちょっと突出していった。
「いや地質学展覧会ではない」とフランボーが答えた。「心理学展覧会と言っていただきたい」
「ああ、後生ですから来られる早々無駄言ばかりは御免下さい」と警察探偵は笑いながら云った。
「まあ聞きたまえ、吾々《われわれ》は今グレンジル卿についてある事件を発見するところです。卿は狂人であったのです」
 高い帽子をいただき鋤を担いだゴーの黒い影法師が暮れ行く空に朧げな外線を劃《かく》しながら窓硝子を過ぎて行った。師父ブラウンは熱心にそれを見送っていたがやがてフランボーに答えて云った。
「なるほど伯爵については妙な点があるに相違ないとわしは思っている。でなくば自分を生埋めにさせるわけはなくまた事実死んだとしたらあんなに慌てて葬らせようとしなくともよいはずじゃ。しかし君、狂人とはいかなる点を以て云うのじゃな」
「さあそこですが」とフランボーが云った。「[#「「」は底本では欠落]このクレーヴン君が家《うち》の中で蒐集した物件の品名目録を今読上げてもらうから聞いて下さい」
「しかし蝋燭《ろうそく》がなくてはどうもならんなア」とクレーヴンが不意に言った、「どうやら暴模様《あれもよう》になって来たようだし、これでは暗くて読めん」
「時にあなたがたの蒐集中に蝋燭らしいものがあったかな?」ブラウンが笑いながら云った。
 フランボーは鹿爪《しかつめ》らしい顔をもたげた。そして黒い眼をこの友人の上にジッと据《す》えた。
「それがまた妙なんでしてね、蝋燭は二十五本もありながら燭台は影も形も見えんです」
 急に室内は暗くなって来た、風は急に吹荒《ふきすさ》んで来た。ブラウンは卓子《テーブル》に添うて蝋燭の束が他のゴミゴミした蒐集品の中に転がっているところへ来た。がふとその時彼は赤茶色の芥《あくた》の山のようなものを見出《みいだ》して、その上にのしかかってみた。と思うまに激しいくさめの音が沈黙をやぶった。
「ヤッ! これはこれは嗅煙草《かぎたばこ》じャ!」とブラウンが云った。
 彼は一本の蝋燭を取上げて叮嚀《ていねい》に火を点け、元の席に帰って、それをウイスキー瓶の口にさした。気の狂ったようにバタバタとはためく窓を犯して吹込む騒々しい夜気《よき》が長い炎をユラユラと流れ旗のように揺めかした。そしてこの城の四方に、何|哩《マイル》となくひろがる黒い松林が孤巌《こがん》を取巻く黒い海のようにごうごうと吠えているのを彼等はきいた。
「では目録を読上げてみましょう」とクレーヴン探偵は鹿爪らしい
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