達の眼によく見られる輝きとかなり目立った様子をしていた。
 他の四人の姿は最初この目に立つ存在の中では影のように見えた。しかし近よって見ると彼等は相違を示した。彼等の一人は船の名簿にはポール・テ・ターラントと載ってる青年であった。彼は真にアメリカ人の模範と呼ばれても差支えのないようなアメリカ人型であった。彼はおしゃれでまた気取り屋である。富める浪費者はよくアメリカの小説にあるように柔弱な悪人を造る。ポール・ターラントは着物を着かえる他には何にもなす事がないように見えた。薄明《うすあかり》のデリケートな銀色の月のように、美くしい明るい灰色の彼の衣裳を淡色《うすいろ》やまたは豊かな影に替えて、彼は日に六度しかも着物を替えた。最もアメリカ人らしくなく彼は非常に細心に短かい巻いた髯を生やしていた。そしてまた最もおしゃれらしくなく、彼自身の型から言っても、彼は華美というよりはむしろ気むずかしいように見えた。彼の沈黙の蔭には幾分バイロン風なものがあった。
 次の二人の旅行者は自然一緒に分類された。何故《なにゆえ》なら彼等は二人共アメリカ漫遊から帰るイギリスの講師であった。一人は、あまり著名ではない詩人ではあるが、少しは名の知れた新聞記者で、レオナルド・スミスと呼ばれていた。彼は長い顔をして、明るい髪を持って、キチンと装っていた。もう一人は黒い海象《かいぞう》のような髭を生やして、丈《せい》が低く幅が広いので、滑稽な対照であった。そして他の者がおしゃべりであるのに彼は無口であった。六番目の最もつまらない人物はブラウンという名で通っている小柄な英国の坊さんであった。彼は非常に注意深くその会話に聞き入っていた。そしてその瞬間にそれについて一つのかなり奇妙な事実があったという印象を形《かた》ち造っていた。
「君のそのビザンティン研究は」とレオナルド・スミスは話していた。「ブライトンの近くの、南海岸《なんかいがん》のどこかで発見した墓穴《はかあな》の話しに、ある光を投ずるにちがいないと私は考えますが、そうじゃありませんか? もちろん、ブライトンはビザンティンからはたいぶはなれております。がしかし僕はビザンティンであるように想像されている埋葬やミイラにする型等について読んだ事がありますよ」
「ビザンティン研究は確かになかなか難かしいに違いないですな」と教授は率気《そっけ》なく答えた。「世間
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