、その馬方が声を掛けた。
「ボートルレさんでしょう、変装していても分りますよ。」という。どうやらその男も変装しているらしい。
「あなたはどなたです。」
「分りませんかね、私はショルムスです。」
ああ英国の名探偵ショルムス!ここで逢うということは何という珍しいことであろう。しかしショルムスは少年よりも先に秘密を握ったのではないだろうか。探偵は少年のその顔色を見て、
「いや、心配なさらんでもいい、私のはエイギュイユの秘密のことではない。私のはルパンの乳母のヴィクトワールのいる場所が分ったので、そこでルパンを捕まえようというつもりなんです。」なお探偵はいった。「私とルパンとが顔を突き合せる日には、その時こそどちらかに悲劇が起らないではすまないでしょう?。」
探偵はルパンに深い恨みを持っている。ルパンとの闘いに、ショルムスは死ぬ覚悟を持っているのだ。二人は別れた。
ああ奇巌城
ある日、少年は景色の好い海岸を歩いていた。少年はごつごつした巌《いわ》の上を通ったり、谷を通ったりして岬の方へ進んだ。余り景色が美しいので、ルパンのことも、エイギュイユ・クリューズの秘密も、ショルムスのこともみんな忘れて、ただ眼の前に開けていく美しい景色、真蒼な大空、緑色の渺々《びょうびょう》たる大海、暖かい日の光を浴びて輝いている絵のような景色に見とれて歩いていた。
まもなく行手《ゆくて》に一個の城のような建物を見た。それは大巌《おおいわ》の岬の上に建ててある。少年はその大巌の上にやっとのぼりついた。その城の門にはフレオッセと書いてあった。別に城の中に入ってみようともせず、小さな洞穴《ほらあな》を見つけてそこに休んだ。少年は疲労《くたびれ》が出てうとうとと眠った。しばらくして洞穴《ほらあな》を吹いてくる風に眼を覚ました。少年はまだすっかり頭がはっきりしないらしく、坐ったままぼんやりしていたがやがて起き上ろうとした。その時少年ははっとしてじっと前の方の一つところを見つめ初めた。
身体中が慄えて、大粒な汗がにじみ出てくる。少年は夢ではないかと思った。そして急に膝をついた。その床《とこ》の巌の上に、一尺ばかりの大きさに浮彫になっている二つの文字《もんじ》が現われている。それこそDとF!
DとF!例の暗号の紙切に現われているDとF!忘れもしない第四行目にあるDとFではないか。
少年はまた嶮《けわ》しい道を降りていった。その時一人の羊飼がたくさんの羊を連れて帰っていく姿を見て、その方に駆けていった。
「ね、君、あの、ほらあそこに見える洞穴《ほらあな》ね、あれは何という名前ですか。」
少年は唇が慄えてはっきりといえないほどであった。羊飼はちょっと吃驚《びっくり》したが、
「ああ、あの洞穴《ほらあな》は、このエトルタのものはみんな令嬢室《ドモアゼルむろ》と呼んでるだあ。」
少年は飛び上ってしまった。令嬢室《ドモアゼルむろ》、令嬢《ドモアゼル》、ああ、紙切の暗号の中から見つけた言葉はこれであったのか!
少年はまた巌の上にのぼっていった。少年は突然地にはらばってしまった。ルパンの部下が見つけでもしたら少年の身体は無事ではいないだろう。少年ははらばいながら岬の端《はじ》へ出て下を覗き込んだ。少年のすぐ眼の下に底の知れない蒼海《あおうみ》の真只中《まっただなか》から、空中につっ立っている一つの大きな大きな巌がある。高さが四十間以上もあり巨大な針のように上の方へ行き、次第にだんだん細くなっている有様は、ちょうど大怪物の牙のようである。ああ針の形をした奇巌城はついに発見された。
太陽がちょうど海に沈もうとしている。ボートルレは喜びのために死にそうな気がした。――見よ見よ「エイギュイユ」の頂きの方から一筋の煙が洩れている。人が住んでいるのだ。その白糸のような一筋の煙は渦を巻きながら、夕照《ゆうばえ》の空に静かに上っていく。
神秘の扉
この奇巌城こそ、仏蘭西《フランス》国家のすべての宝物《ほうもつ》の蔵であり、また唯《ゆい》一つの隠れ場所である。
ルパンはこの宝物《ほうもつ》と隠れ場所を知っていたからこそ、いかなる仕業もやり遂げたのである。このエイギュイユの巌の中は空になっているに違いない(空の針)である。紙切の謎は解かれた。
一行目は エトルタの下手
二行目は 令嬢室《ドモアゼルむろ》
三行目は フレオッセの砦の下
五行目は エイギュイユ・クリューズ
しかし四行目は他の行と違っている。この行がきっと入《はい》り口を教えてあるものに違いない。
DDF ※[#中に点のある右に傾いた平行四辺形(fig46187_02.png)、96−15]19F+44※[#中に点のある△を右に90度傾けた三角形(fig46187_03.png)、96−15]357※[#中に点のある△を左に90度傾けた三角形(fig46187_04.png)、96−15]
四行目はこうなっている。少年は洞穴《ほらあな》へ出掛けて種々《いろいろ》と方法をやってみた。
少年は考えついて洞穴《ほらあな》のDとFの字に両足をまたがってみた。暗号文字のDとFの上に線が引いてあるのはこれに違いない。少年はそれから十九という長さだけの紐をつくって、それを令嬢室《ドモアゼルむろ》の壁に張りながら歩いていった。すると紐の終りの所の壁に、あったあった浮彫にした十字があった。19F+の暗号の文字はこれで分った。
少年は慄える手でその十字を握り、ハンドルを廻すように廻してみた。煉瓦が少し持ち上った。占め!、もう一度力を込めて廻したがそれきり動かない。今度は上から力いっぱい圧してみた。と突然がたんと音がして、見る間に右手の壁がぐらりと廻って、魔の口を開いたように暗黒な入口が開けた。
少年はふらふらと気が遠くなるようだった。少年はよろめきながら外へ出た。
少年は警察へこれまでのことを手紙で知らせてやり、誰かに来てくれるように頼んだ。
その返事を待つ間、少年は令嬢室《ドモアゼルむろ》で二夜をすごした。それは実に恐ろしかった。今にも誰か来て自分を刺し殺すんではないだろうかと。
初めの夜は何事もなかった。次の夜のことである。少年はじっと身を堅くした。例の煉瓦の扉が音もなく開いて、その闇の中から黒い影が現われた。少年は数えた、三人、四人、五人……
五人の男はそれぞれ大きな荷物を抱えていた。彼らはルアーブルの方へ行く道を進んでいった。まもなく向うで自動車に乗ったらしく、音がしてそれが遠去《とおざ》かっていく。少年は洞穴《ほらあな》を出てこれを見届けたが、引き返そうとしてはっとして樹蔭《こかげ》に隠れた。またも五人の男が荷物を持って出てきた。そしてやはり自動車で走り去った。
少年は[#「少年は」は底本では「年少は」]恐ろしくなったのでその夜は宿へ帰った。翌朝《よくちょう》ガニマール探偵がやってきた。少年は大喜びで探偵を迎えた。ガニマールは少年のこれまでの働きを褒めた。
二人はルパンを捕えることを相談した。ガニマールは奇巌城の中へ突撃して、もしルパンがその中にいなかったら、いつか来た時を見張っていて捕まえようといった。
「もしいたら、海からボートに乗って逃げるでしょう。」とボートルレはいった。
「こっちだって十二三艘の漁船を雇って、それに一人ずつ部下を乗り込ませておいて捕まえるさ。」
「ルパンのことだから、その漁船の間だってついと逃げてしまうかもしれません。」
「その時は大砲で沈めてしまうばかりだ。」
「大砲を用意するんですか。」
「そう、水雷艇《すいらいてい》が私の電報一本で、すぐ応援に来てくれることになっている。」
水雷艇
次の日になった。二人は約束の時間に逢った。二人とも平気な風を装おっていたが、顔色は真蒼であった。
まわりにたくさんの警官を見張りさせ、海には十二艘の漁船が待ち受けた。ガニマールとボートルレは十人ばかりの部下を引き連れて、どやどやと洞穴《ほらあな》に入った。ボートルレは例の十字を押した。するとがたっと音がしてこの前のように開いた。
懐中電灯で照《てら》してみると、中に階段が現われた。ボートルレがその階段を降りながら数えると、四十五段あった。
「畜生!」と先へ進んでいったガニマールが叫んで立ち止まった。一枚の頑丈な扉があって先へ行かれない。少年は暗号の紙切を出した。それには左の端《はじ》に点のある三角形が書いてある。扉を調べると、三角形の鉄の小板《こいた》が四隅にある。そしてその板には大きな釘が打ちつけてある。左の端《はじ》の小板の釘を動かしてみたが、それは違うのか、扉は開かない。少年は数字の44というのに気づいた。自分たちが今立っているのは四十五段目である。少年は探偵に注意して一段後戻りさせて、また前のように三角形の小板の釘を動かした。
果して重い鉄の扉はぎーと開いた。洞穴《ほらあな》の中に一筋の明《あか》りが差し込んでいる。それは巌の裂目《さけめ》で、そこへ近づいてみると、傍《かたわら》につっ立っている奇巌城が見える。ガニマールは指《ゆびさ》していった。
「ほら!ずっと沖の向うに黒い物が見えるだろう。あれが水雷艇だ。あれがあるんだもの、ルパンの奴逃げ出したが最後、海へ沈み込まれてしまうのさ。」
意外の招待
次にまた階段があった。三百五十八段であった。そこにも鉄の扉があって三角形の鉄板が四隅にあった。それは前の方法で難なく開いた。次はたいそう長いトンネルである。天井に吊《つ》るされたランプが薄暗く、中を照らしている。壁はしっとりと濡れてぼたぼたと水が落ちる。おおかた今は海の底を歩いているのであろう。広い洞穴《ほらあな》のところへ出て、それから上へのぼる段があった。
「いよいよエイギュイユへのぼり始めるのだな。」とガニマールがいった。その時一人の部下が、
「こっちにも段があります。」
「ははあ、こっちからのぼれば、こっちから逃げる考えだな。」
みんなはそこで迷ってしまった。しかし別れて進むのは、みんなの力が弱くなるというので、先に一人だけ調べに行くことになった。
「僕が行きましょう。」とボートルレがいった。
「では、頼む。もしこっちの段から逃げてきたらここで捕まえるから。もし変ったことがあったら知らせたまえ。」
ボートルレは一人でのぼっていった。段は三十段あった。上に普通の木の扉がある。それはすぐそのまま開いた。
中の室はなかなか広くて、たくさんの荷物がおいてある。机や椅子や戸棚が、乱暴に投げ込んであるばかりだ。そこにまた左右に段がある。少年は探偵に知らせようかと思ったが、そのまま上へのぼり始めた。三十段あった。扉がある。下の室より小さい。また三十段階段がある。扉がある。今度はまた室が小さくなっている。
少年は、奇巌城の中の有様を見ることが出来た。奇巌城は先へ行くほど尖っているから、室がだんだん小さくなるのだ。四番目の室はもう電灯も点いていない。穴から見ると、眼の下十|米《メートル》ばかりの所に蒼い海が見える。少年は初めて、ガニマール探偵たちと遠去かったことに気づいて心細くなった。もう今度で止そうと思ってまた次の階段をのぼった。そして恐る恐る扉を開けた。この室は他の室とは違っている。壁には肘掛《ひじかけ》の布《きれ》があり、床《とこ》には絨氈が敷いてある。立派な食器を入れた二つの大きな戸棚がおかれ、外へ突き出た巌の裂目には硝子を[#「硝子を」は底本では「消子を」]嵌めて、小さい窓が出来ている。
室の真中に、美しい食卓があって、レースの卓子《テーブル》掛が掛けてあり、その上には、果物皿や、菓子皿や、お酒の壜や、眼も覚めるような美しい盛花《もりばな》などがおいてある。そしてそこには三人分の皿がおいてある。少年が近づいてみると、その坐る場所に名前を書いた札がおいてある。
初めのを読むと、「アルセーヌ・ルパン。」
それと向き合って、「アルセーヌ・
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