、どっちがたしかかなあ――」
思い思いのことをいった。
浅野練習生が、とつぜん大きな声で、
「あの鳥がいると、昔話のとおりだがなあ……」
その声に、水夫長は、びっくりしたような顔をして、ふりむいて、
「なんだい。昔話のあの鳥というのは、わけがありそうだな。教えてくれよ」
知らないことは、なんでも、だれにでも聞こうとするのは水夫長のいい心がけだ。私がいつであったか、「聞くはいっときの恥。知らぬは末代の恥」という話をしたことがある。それからずっと、私の話のとおりに実行しているのだ。
「話はばかに古くって、長いのだよ」
「じゃあ、みんな、ゆっくり砂にあぐらをかいて、聞かせてもらおう」
この連中は、このように、おりにふれ、事にあたって、研究したり、わけを知ろうとする心がけの人ばかりであった。
浜に円陣をつくって、あぐらをかいた人たちに、浅野練習生は話しはじめた。
「ずっとまえに、修身の本で読んだ話です。今から二千年も前、漢の国に、蘇武《そぶ》という人があって、皇帝の使者として、北の方の匈奴《きょうど》という国へ行った。ところが匈奴では蘇武をつかまえてこうさんしてけらいになれといったが、蘇武はきかなかった。そこで、大きなあなの中へぶちこんで、食物をやらずにおいたが、蘇武は何日たってもへいきでいた。これを見て匈奴では、蘇武はただの人ではないと思って、殺さずに、ずっと北の方の、無人のあれ野原に追いやって、雄のひつじを飼わせて、この雄のひつじからお乳が出るようになったら、おまえの国へ帰らせてやる、といいわたした。それでも蘇武はへいきだった。はじめあなに入れられたときは、雪が降ったので、じぶんの着ていた毛織物の毛をむしりとって、雪といっしょにたべて、生きていた。あれ野に追い出されてからは、野ネズミをとってたべたり、草の実をたべたりして、十年も十五年もがんばっていた。
十九年めに、漢の国から匈奴の国へ使者がきて、蘇武をかえせと申しこんだ。すると匈奴では、蘇武はとっくの昔に死んでしまった、といったが、漢ではスパイの通知で、蘇武の生きていることを知っていたから、たぶんこんなことをいうだろう、そうしたらこういってやろうと、考えていた計画のとおりに、
『そんなことはない。蘇武は生きている。つい先日、私の方の皇帝が、狩に出て、空飛ぶ雁《かり》を矢を放《はな》って射落したら、雁の足に、白い布に墨で書いたものがしばりつけてあった。ほどいてひろげてみたら、蘇武からの手紙で、私は北のあれ野原に生きている、助けてください、と書いてあった。うそをいわないで、蘇武をかえしてください』
と使者はいった。この計略にうまく引っかかった匈奴は、一言《いちごん》もなく、十九年めに蘇武をかえした。
このことがあってから、手紙のことを、『雁の使』というようになったのです」
聞く人も話す人も、たったいま、銅の札に、「助けてくれ」と釘で書いて、海鳥の首につけて、飛ばせたばかりだ。みんなは、蘇武の話に深く感動した。水夫長は、すっかり感心して、
「生徒さん、ありがとう。よくわかった。蘇武という人は十九年もがんばったのだなあ。――わしらは、これからだ」
龍睡丸乗組員は、海の人として、不屈の精神をもった、りっぱな者がそろっていた。めったなことには、気を落さない。命のあるかぎり、いつかすくわれる、という希望をかたく持っていた。海流に配達してもらう郵便にも、鳥に運んでもらう手紙にも、望みをすてはしない。
小笠原老人は、みんなにいった。
「いまの話を聞いて、この島はいい島だと、つくづく思うね。あたたかくて、たべ物がたんとあって、人数も多くて、にぎやかだ。そのうえ、いろいろのいい話が聞かれて、勉強になる。ほんとにわれわれはしあわせだよ。いつまでもがんばることだ」
いつも、料理を指導している運転士は、
「野ネズミや草の実で、十九年もがんばった人もある。さあ、魚とかめの昼飯だ。がんばろう」
といいながら昼飯に立ちあがった。
さて、昼飯のこんだては、カツオのさしみに、島に生えたワサビ、タカセ貝のつぼ焼、かめの焼肉である。野ネズミと草の実にくらべると、天と地のちがいがある。
「ありがたいなあ――このごちそうだ」
「何十年でもがんばるぞ」
だれかれが、思わずもらしたことばだ。これはまったく十六人の気もちをいったものであった。
一同は、天幕《テント》の中で、船長を上座に、その両がわに、ずらりと二列に向きあって、ござの上にぎょうぎよくすわって、料理当番のくばる食事を、いつもよりは、いっそうおいしく思った。そしてよくかんで、食糧のじゅうぶんなことを感謝しながらたべていると、雨もようだった空は、ぽつり、ぽつり、そしてたちまち、ひどい降りになってきた。
「それっ。水だ」
みんなは、すぐに
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