るまでには、何千べん、いや数えきれないほど、頭から波をかぶっていて、骨の心まで塩けがしみこんでいるはずだ。それで、一人まえの海の勇士が「塩」だ。おいらのような、とくべつの海の男が「古い塩」だ。それだから、塩のはんたいに、「お砂糖め」としかられては、海で男になろうという者にとっては、まったく、なさけなくなるよ。
鯨のふく息は、一回六秒ぐらいで、十分間に六、七回はふきあげる。水煙がとくべつにこくって、十秒ぐらいも長くふくのは、深くしずむまえだ。鯨が肺の中の空気を、ほとんど出してしまうからだ。
ふく水煙の高さは、十メートルいじょうのこともある。まっすぐにふきあがって、先の方が二つにわれるのは、せみ鯨。太く一本ふきあげるのが、ざとう鯨。一本で細く高くあがるのが、しろながす鯨。それよりみじかいのが、ながす鯨。いちばんひくいいぶき、それでも四メートルぐらいのが、いわし鯨。前の方に四十五度ぐらいの角度でふくのが、まっこう鯨だ。
まっこう鯨は、歯があって、強くて元気なやつで、鯨どうしで、大げんかをすることがある。油をとるのにいちばんいいので、どの鯨船でも追いかける鯨だ。銛をうちこまれると、おこってあばれる。あのかたい大頭で、ちょっとつかれても、尾で、ちょっとはたかれても、ボートは粉みじんだ。どうかすると、本船めがけて、ぶつかってくることがある。本船だって、どしんとやられると、ひびがはいって沈没することがある。
はじめて「鯨とび」を見たときは、うれしかったね。せなかにひれのあるいわし鯨が、なんべんも、つづけてとんだのを見た人は少ないだろう。十五メートルもある、あの大きなのが、頭を上に、ほとんどまっすぐに、海面からとびあがって、尾を海から高くはなしたな、と見るまに、大きな曲線をえがいて、頭の方から海にどぶうんとはいって、またとびあがるのだ。すばらしいなめし革のような白い腹には、縦に幾筋も、大きな深いしわがある。灰色のせなかには、ちょっぴり三角のひれ。鯨ぜんたいが、日光にきらきらするのだ。
まっこう鯨も、よくとぶ。あの十五メートルいじょうもある大きなのが、はじめは海面すれすれに、たいへんな速力でおよいでいると見るまに、少しずつとびあがり、しまいには、すぽーんと、空中にとび出すのだ。角ばった頭を上に、四十五度ぐらいの角度にかたむけて、あの世界一大きなからだを、すっかり空中に出したすがたのりっぱさ。なんといったらいいだろう、おいらにはいえないね。何しろ地球上の動物の中で、でっかいことでは王様だ。
それが、水に落ちるときの水煙とひびき、まるで水雷の爆発だ。それも、三つ四ついっしょにね。ぶああんと、遠くまで、海鳴りがして、ひびき渡っていく。こんなことは、まあ、陸では見られない。海は大きいが、動物も大きいと、つくづく思うね。
また、こんなこともあった。おいらが十五歳のときだ。おとうさんの船に乗って、アラスカのいちばん北のとっさき、バーロー岬から、もっと東の方へ、北極の海を、氷のわれめをつたわって、行ったことがあった。船の上から、氷の上に、のそのそしている白くまを、いくつも見た。
「おとうさん、白くまをとってもいい」
と聞いたら、おとうさんは、
「鉄砲でうったり、銛でついてはいけない。いけどりにするならいい」
といった。まだ少年のおいらに、――くまがりなんかおまえにはできないよ。そんなあぶないことをするな――という、ありがたい親心が、今ではよくわかる。だが、そのじぶんには、親のありがたさなんぞは、気がつかない。
「おとうさんは、ぼくの勇気をためすのだ。鯨よりは、ずっとちっぽけな白くまだ。生けどりにできないことはない。――よし、やるぞ」
こんな親不孝なことを考えた。そして、アメリカの牧童が、あれ馬にまたがって、ふちの広い帽子をかぶって、投縄をぶんぶんふりまわして、野馬や野牛にひっかけて生けどりにするように、白くまを生けどってやろう。おとうさんはじめ船の連中を、びっくりさせて、それから、まっ白い毛皮をおじいさんに、おみやげにして喜ばせてあげよう。ぼくは、いっぺんに英雄になるのだ。こう決心して、さっそく、くまとりの練習をはじめた。
白くまは、人が近づくと、後足で立ちあがって、前足をひろげて、とびかかって人間をだきこむというから、こっちの方が先に、投縄をくまの首にひっかけるのだ。そうして、すぐに前足にも、その縄をひっかけて、力いっぱい、前の方へ引き倒してやろう。そうすれば、くまが前足にからんだ縄で、じぶんの首をしめるから、生けどりにできると考えた。
それで、まず長い縄の先に、金の小さい輪をはめ、これに縄を通して、大きなずっこけをつくり、それから、白くまのかわりに、木で十文字をつくって、甲板の手すりに立ててしばりつけ、十文字の横木を、くまの前足に
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