どうかなつてしまふのであつた。寅年生の者がゐる家には猫が育たないといふ話があるけれど、姉はちようどその寅年生なのであつた。で、猫も駄目なので、犬のかはりに鷄が飼はれたわけであつた。鷄なら玉子を生むからといふのである。
かうして飼はれるやうになつた鷄が、どこからどうして手に入つたのかなぞは、全然私の記臆にない。私はたゞ珍しくつて嬉しくつて、そして何故ともなく、かすかに得意だつた氣持を覺えてゐる。最初の日は、どこかに行つてしまふのを恐れて、裏庭に出して背負籠をかぶせて置いた。(勿論金網の[#「金網の」は底本では「金綱の」]用意などはなかつたし、作らうともしなかつた。)そしてその前に屈んで、私は飽かず彼等に眺め入つた。
純粹の矮鷄《ちやぼ》にしては少し形の大きい雄鷄は、玉蟲色に光の陰翳する羽根や、黄金のやうに輝く毛をもつて全身を蔽はれ、形よく盛れ上つた尾は長く地を曳くばかりであつた。そしていかにも若い者のやうな元氣で地を掻きながら、首をかしげて雌鷄に合圖をし、又は絶えず周圍の物音に氣を配つて、きつと重い鷄冠を振りたてた。彼は如何にも男性らしく立派であつた。その立派さに對して雌鷄の無彩色なのは、一寸見ると見劣がするやうであつたけれど、雄鷄から暫く目を轉じて彼女を見てゐるうちに、私はたまらなくその雌鷄が好きになつてしまつた。全身が眞白で、綺麗で、ぷくりと脹れてゐる胸のあたりの美しい線が、何ともいへず華奢であつた。小さな丸い首の上に赤い鷄冠がちよんびりついてゐて、それが左の方が少し曲つてゐるのが、前髪に赤いきれをかけた娘のやうに、いかにも女らしかつた。時々小さな潤んだ目を上げて、籠の前に跼んでゐる私を窺ふやうに首をさしのべた。私は無暗と籠の目から菜の葉を差し込んだり、そつと臺所から磨いだお米を握つて來たて、上からぱらぱら振りかけたりした。鑵詰の空鑵に入れて置いた水を、狭い籠の中で雄鷄が足掻く拍子に引つくり返してしまふのを、幾度か充してやつた。
少年時代の幸福な眠を、私はその夜も母の懷の傍で眠つた。そして一夜の夢の旅から、私のおぼろな意識がだんだん朝の領分に歸りかけた時分に、今迄聞いた事もない、つい近くで、冴々として閧を作る鷄の聲を聞いた。やがて私はぱつちりと眼を開けた。そしてその時はじめて昨日の記臆が瞭然と私の腦裡に歸つたので、私は珍しく自發的に起き上つて、臺所に物音をた
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 仙子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング