たことなどを思つたりする。
「ねえ! よう!」
それでも猶あの人の頬は引締つて、丁度内側から吸ひふくべでもかけたやうに、肉がこけて見える。そんな時には、頬骨がいやに高く目に立つて、角度の多い顔になる。そのいつまでもほぐれない顔色を見て居るうちに、それが女の資格を失ふことでゝもあるかのやうに、私の心は焦慮《じ》れて口惜しがつて来る。そして意地になつて男の心を随はせようとかゝる。
「ようつたらよう!」
「煩い!」
と、私の心は足場を失つてほろりとあの人から離れる。細胞といふ細胞に一ぱい含んで居たやうな体の味――さういつたやうなものをあの人に甘へてる時にいつも味はふ――が、汁を吸ひ取つた梨の滓のやうにぽろ/\したものになつてしまふ。私は恐い顔をして凝乎《じっ》とあの人を見つめる。すると、自分で出した声の突拍子だつたのに少し慌て気味のあの人の顔に、それこそほんのすこうし和いだ影を見て取ると、私は如何にも萎らしく消気たやうに悲しさうな顔をして、黙つて凝乎と遠く障子の桟などを見つめて居る。
「何だい? ん?」
今度は私が黙つて居る。暫くしてそつと偸《ぬす》み見をすると、あの人は如何にもものを内に向いて考へるやうな眼付をして、ぢいつと一つところを見つめて居る。私はひとりで芝居をしてたやうな、間の抜けた感じを味はひながら、急にあの人に投げて居る体の遣り場に困つてしまふ。こんな時位、二人の間に粘り気を失ふことはないと思ふ。かうした時間の連続は、二人をして未練なく離れしめ得るであらうと思はれるほど、私の心も、私の体も、ひたとあの人に向つての流動を止めてしまふ。私はぷいと起つて行く。
暴風雨《あらし》が私の体中を荒れ狂ふ。雷雲《かみなりぐも》のやうに険悪に濁つた血が、迸《ほとばし》り出る出口を探し求めてるやうに、脈管を走り廻つている。一寸した指の弾き方にも、歩き方にも、数の少くなる口の利きぶりにも、一つとしてその濁つた血の支配を受けないものはなくなる。手を一つ動かすと、それが返り戸をするほど力委せに戸を閉めてる。足を動かせば、それがまるで地踏鞴《じだんだ》を踏むやうにしてゐる。あらゆるものを取つて投げ、壁を破り、家を壊したら、少しは慰むだらうと思はれるやうな慾望が、むら/\と肉を盛りあげるやうに私の体の中から湧いて来る。と、あゝ父の血だ! とちらり閃く考へが、何処《いずく》とも
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