疲れた人を、さういつまでも引きとめて置くわけにはいかないので、一寢入して夜が明けたら、また見舞つてくれるやうにとくれぐれも頼んだ。心もとなささうに座敷をのぞいてはうろうろ寢もやらずにゐるお芳を、母親は一寢入するやうにとすゝめて、自分も掻卷を着て娘の枕許を衞つた。――二三時間前の恐しいさわぎを思ひ出すと、うめき聲がまだ耳についてゐるやうな氣がする。臺所に來て見ると、ゆうべ夜食に出した玉子の殼が皿の上にそのまゝになつてゐた。お茶のかはりにと店の棚から持つて來て口を切つた正宗の壜が、底の方に黄色い色を殘して、それも隅の方に押しやられてある。お芳は一人で厨のことをしなければならなかつた。
 赤兒が無いと肥立が惡い、それに並はづれて骨を折つたのだものと、母親はひどく産後を氣づかつた。それも無理はなかつた、一年ばかり措いて前に一度同じやうな産のくるしみをして、二月ばかり床をはなれることができなかつたのだ。
 清治がむかへに行つて、千藏といふ出入の越後者の爺が來た。産婦の眠つてる間にそつと白木の小さな箱を縁に出して、繩をかけて爺はそれを背負つた。母親はその上に赤い裏のついた着物をかけた。見えないやう
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