らん。逃げられるものなら一刻も早く逃げ出した方が賢いんじゃ、手分けして探ろう。おれは大村の宿の容子と、市中の模様を嗅いで来る。おぬしは、西口、東口、南口、街道筋の固めの工合を探って来い」
「よし来た。出かけよう! ――いいですか。隊長。おまえらつもりたいようにつもれと仰有いましたから、容子を探ったうえで然《しか》るべく計らって参ります。あとでかれこれ駄々をこねちゃいけませんぞ」
 言いすてて、ふたりは、不敵にもまだ日が高いというのに危険を犯《おか》し乍ら市中へ出ていった。
 しかし、直人は、うんともすうとも言わなかった。まるで馬鹿になる修業をしてでもいるように、じっと一点を見つめたまま、寝返りも打たなかった。
 知らぬまに、高かったその陽がおちたとみえて、うっすらと夕ぐれが這《は》い寄った。――同時のように、ひたひたと足音が近づいた。
 小次郎がかえって来たのである。
 のぞきこむようにして、その小次郎が手柄顔に言った。
「大丈夫だ、先生。大村は死にますぞ」
「これから死ぬというのか、もう死にかけているというのか」
「急所ははずれたが、思いのほかに傷が深いから、十中八九死ぬだろうというんです。うれしいじゃごわせんか」
「ふん……」
「ふんはないでがしょう。先生は、大村が死にかけておったら、気に入らんですか」
「入らんのう、かりそめにも暗殺の名人と名をとった神代直人じゃ。看板どおり仕止めたというなら自慢になるが、これから死ぬかも知れん位の話で、よろこぶところはなかろう」
「それならば、あのとき黙ってお斬りなすったらようがしたろう。大村が死なんでも、誰が斬ったか分らなんだら、先生の耻《はじ》にはなりませんからな」
「なんの話じゃ」
「益次郎を斬るとき、神代直人じゃ、と隊長が名乗ったことを申しておるんです。わざわざ名乗ったばっかりに、斬り手の名は分る、配符は廻る、われわれ一党の素性《すじょう》も知られる、市中では、もう三尺の童子までわれわれを毛虫のように言いそやしておりますよ」
「阿呆! 名乗って斬ったがなんの不足じゃ、頼まれて斬ったればこそ、出所進退をあきらかにして斬ったじゃないか。直人が心底憎くて斬るときはかれこれ言わん。黙って斬るわい」
 争っているその声をおどろかして、シャン、シャンと、いぶかしい馬の鈴の音が、かすかに境内の向うから伝わった。怪しむように、ふりかえったふたりの目の前へ、金丸が勢いこんで飛びこんで来たのである。
「道があけた! 先生すぐお出立《しゅったつ》のお支度なさいまし! ――小次も早く支度しろ」
「逃げられそうか!」
「大丈夫落ちられる! 東海道だ。どういう間違か、ひょんな噂《うわさ》が伝わってのう。先生らしい風態《ふうてい》の男が、同志二人とゆうべ亀山口から、東海道へ落ちたというんじゃ。それっというので、海道口の固めが解けたのよ。このすきじゃ。追っ手のあとをあとをと行くことになるから、大丈夫東京へ這入られる。――かれこれと駄々はこねんというお約束です。道中、お歩きもなるまいと思うて、こっそりと駅馬《えきば》を雇うて参りました。すぐお乗り下さいまし!」
 否《いな》やを言うひまもなかった。――せき立てるように駈けあがって、くるくると身のまわりのものを取りまとめると、金丸は、ひとりで心得乍ら、直人の身体をだきあげた。
 しかし、同時に、小次郎もその金丸も、思わずあっと、おどろきの声をあげた。
 五日の間に、すっかり踵の弾傷《たまきず》は悪化していたのだ。
 しかもいち面に膿《のう》を持って、みるから痛そうに赤く腫《は》れあがっていたのである。
「だから、手当々々とやかましく言うたんです。こんなになるまでほっとくとは呆《あき》れましたな。――お痛いですか」
「その腫れではたまらんでしょう。我慢出来ますか」
「駄々をこねるなという言いつけじゃ。駄々はこねん。気に入るように始末せい‥…」
 まるで意志のない人のようだった。
 さだめし、たえられぬほども痛いだろうと思われたのに、直人は、じっと金丸たちの腕にだかれたまま、身動きもしなかった。

         六

 しっとり暮れて、九月の秋の京の夕ぐれは、しみじみとしてわびしかった。
 かわたれどきのその夕闇を縫《ぬ》い乍ら、落人《おちゅうど》たちは、シャン、シャンと鈴の音《ね》を忍ばせてすべり出るように京の町へ出ていった。
 直人はひとことも口を利かなかった。意志がないばかりか、まるでそれは、僅かに息が通っているというだけの、荷物のようなものだった。
 腹が減ったでしょう、食べますか、と言えば、黙って食べるのである。お疲れでしょう、泊りますか、と言えば、黙って泊るのである。
 しかし、そんなでいても不思議だった。馬が歩けば、馬上の荷物も自然と歩くとみえて、京を
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