イとまた鳴いた。
同時に影だ!
ふりそそいでいる月光の中から障子の面《おもて》が、突然ふわりと黒い人の影が浮び上った。ふた筋三筋|鬢《びん》のほつれ毛がほっそりとしたその顔に散りかかって、力なくしょんぼりとうなだれ乍らまるで足のない人のごとく青白い光りの中に佇《たたず》んでいるのである。
「た、誰じゃ!」
「何者じゃ!」
叫び乍ら門七と大三郎が走りよって、さっと左右から障子を押し開いた刹那、――ぺたぺたと崩れ伏すように影が膝を折ると消え入るような声で言った。
「おそなわりまして厶ります……」
二
「……!」
「……!」
一斉に目が不審の色に燃え乍ら、影と声の主を見守った。
だが、二瞬とたたない凝視《ぎょうし》だった。城主長国の声がおどろきと悦《よろこ》びに打ちふるえ乍ら、月光の中の影に飛んでいった。
「おう! そちか! ――波野よな! 千之介じゃな!」
「はっ……。おそなわりまして厶ります……」
「小気味のよい奴じゃ。丹羽長国の肝《きも》を冷やさせおったわ。わっはは。井戸の中からでも迷うて出おったかと思ったぞ。来い。来い。待っておった。早うここへ来い」
「はっ……。参りまする……。只今それへ参りまするで厶ります……」
どうしたことか、這入《はい》って来た時の影のように力なく打ち沈んだ声で答え乍ら、おどおどとして主侯の近くへ進んでいったのは、同じお気に入りの近侍波野千之介である。しかし座を占めると同時だった。不思議なことにその千之介が君前《くんぜん》の憚《はばか》りもなく、突然、声をこらえ乍ら幽《かす》かに忍び泣いた。
「なに! 泣いているな! どうしたぞ。解《げ》せぬ奴じゃ。何が悲しいぞ!」
「…………」
「のう! 言うてみい! 何を泣いておるのじゃ!」
「いえあの、な、泣いたのでは厶《ござ》りませぬ。不調法御免下さりませ。風気《ふうき》の気味が厶りますので、つい鼻が、鼻がつまったので厶ります……」
「嘘をつけい!」
見えすいたそんな言いわけを信ずる長国ではないのである。――ぐいと脇息の前に乗り出して来た顔から、追及の声がうなだれている千之介のところへ迫っていった。
「言うてみい! 言うてみい! のう! 遠慮は要らぬぞ。悲しいことがあらば残らずに言うてみい!」
「…………」
「気味のわるい奴よ喃《のう》。なぜ言わぬぞ。そう言えば来
前へ
次へ
全16ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング