致さず論議ばかり致しておりましたせいか、人心地《ひとごこち》失いまして、よい智慧も浮びませぬゆえ、まことに我まま申上げて憚《はばか》り多いことで厶りまするが、ひと刻程|睡《ねむ》りを摂《と》らせて頂きましてから、今度こそ必ずともに藩議いずれかに相まとめてお目にかけまするゆえ、今暫く御猶予願わしゅう存じまするとのことで厶ります」
「何を言うぞ! 返す返すも人を喰った老人共じゃ。武士《もののふ》の本懐存じておらば、三日も寝ずに論議せずとも分る事じゃ! たわけ者達めがっ。勝手にせいと申し伝えい!」
疳高く凛《りん》とした声だった。颯《さ》っと褥《しとね》を蹴って立ち上ると苛立《いらだ》たしげに言った。
「予も眠る! 城主なぞに生れたことがくやしいわっ。予も寝るぞ! ――今宵の宿居《とのい》は誰々じゃ。早う参れっ」
足取りも荒々しく消えていったあとから、宿居に当っていた近侍《きんじ》永井大三郎と石川六四郎がお護り申しあげるように追っていった。
平伏しつつ、濃い謎を包みつつ、見送っていた千之介が、ほっとなったように面をあげると、なぜか明るい微笑すらも泛べて、急に元気に立ち上った。無論もうお長屋に帰って、ゆるゆる一夜を明かすことが出来るのである。多々羅も林田も、やはりもう用のない身体だった。――やがて黙々と肩を並べ乍ら三つの影が城内の広場に現われた。
同時のように観音山《かんのんざん》の頂から天守をかすめて、さっとまた月光が三つの影の上にそそぎかかった。
光りは濠《ほり》の水面《みずも》にまでも散りこぼれて、二本松十万石の霞ヶ城は、いち面に只ひと色の青だった。
三つの影はその青の間を縫《ぬ》い乍ら、二ノ濠わきのお長屋目ざして、黙々と歩いていった。
「では――」
「おう、また――」
お長屋の離れている多々羅は右へ、隣り合っている門七と千之介は左へ、覗き松のところから分れて行くのが道順なのである。
分れて二つの影になった千之介と門七は、三歩ばかり黙々と歩いていった。しかし、その四歩目を踏み出そうとしたとき、突然門七が嘲《あざけ》るように千之介に言った。
「馬鹿め!」
「なにっ」
「怒ったか」
「誰とても不意に馬鹿呼ばりされたら怒ろうわ。俺がどうして馬鹿なのじゃ」
「女々《めめ》しいからよ。君前《くんぜん》であの態《ざま》は何のことかい。なぜ泣いたか殿はお気付き遊ばし
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