か」
「いいや、新兵衛も行く! おれも行く! 一緒にいって斬ってくれっ」
「ひとりでは山県狂介が斬れんのか」
「斬れんわけではないが、狂介ごとき、き、斬れんわけではないが……」
「斬れんわけでなければ、おぬしひとりでいって、斬ったらよかろう。それとも狂介はひとりで斬れるが、山県有朋の身のまわりにくっついている煙りが斬り難いというなら、やめることさ」
「では、貴公は、おまえは、むかしの仲間を見殺しにするつもりか!」
「つもりはないが、おぬしは腹が立っても、おれは腹が立たんとなれば、そういうことにもなるじゃろうの。――行くもよし、やめるもよし。おれはまずあしたまで、生きのびてみるつもりじゃ」
「……!」
ぽつりと声が切れたかと思うと、しばらくうしろで新兵衛の荒い息遣いがきこえていたが、やがてばたばたと駈け出した足音があがった。
四
間違いもなく平七は、そのあくる日まで無事に生きのびた。
また奥からか、庭先からか、同じように呼ぶだろうと思っていたのに、しかし有朋は、それっきり何の声もかけなかった。
いち日だけではなかった。ふつ日《か》たち、三日《みっか》となっても、有朋は顔さえみせなかった。
気保養《きほよう》と称して、この三《み》めぐりの女気《おんなけ》のない、るす番のじいやばかりの、この別荘へやって来て、有朋がこんな風にいく日《か》もいく日《か》も、声さえ立てずに暮らすことは、これまでも珍らしいことではなかった。
そういうときには、部屋も五《い》ツ間《ま》しかないこの別荘のどの部屋に閉じこもっているのか、それすらも分らないほどに、どこかの部屋へ閉じこもったきりで、橋を渡って向う河岸《がし》の亀長《かめちょう》から運んで来る三度三度のお膳さえ、食べているのか呑んでいるのか分らないほどだった。
しかし、なにかしていることだけはたしかだった。その証拠には、有朋が陸軍中将の服を着て、馬に乗ってこの別荘へやって来て、こうやって三日か五日《いつか》声も立てずに閉じこもって、また長靴を光らしてこの別荘から出て行くと、忘れたころにぽつりぽつりと、どこかの鎮台《ちんだい》の将校の首が飛んで、そのあとへぽつりぽつりとまた一|足飛《そくと》びの新らしい将校の首が生《は》えたり、伸びたりするのがつねだった。
そういう穴ごもりのあるたびに、いく人かいる食客《しょっかく》のうちから、決ってこの金城寺《きんじょうじ》平七がお供を言いつかって来るというのも、実はこの金城寺平七という見事な名前を持っている男が、名はあっても心を持っているかいないのか分らないようなところがあるためだった。
実際また平七は、有朋がこの別荘に、何日閉じこもっていようとも、どんな風に世間の目をくらまして、長州陸軍の根を育てる苦心をしていようとも、一向《いっこう》用のないことだった。
そのためにまた明日どこかへ押し流されていったら、流れ止まったところで、ふやけるのもよし、ねじ切って棄てるなら、棄てられるのもよし……。
「陸軍の大将さん。
海軍の大将さん。
さつまはお艦《ふね》。
ちょうしゅうは大砲。
ちくと刺《さ》すのは土佐の蜂《はち》……」
「だれじゃ! そんな唄を唄うのは! 平七か!」
「わたしが、――ですか。なにも唄ったような覚えがないですが……」
「いや、よし、分った。近所の小童《こわっぱ》たちじゃ。だれが教えたか、つまらぬ唄を唄って、悪たれどもがわいわい向うへ逃げて行くわ。仕方のない奴等じゃ。――さあ馬じゃ」
「あ、なるほど、軍服も靴もお着けでござりまするな。ではゆるりゆるりとまいりましょうか」
三日の間、そこに来ては寝ころんでいた秣《まぐさ》の中から、むくむくと起きあがると、平七は、曳《ひ》き出した鹿毛《かげ》にひらりと乗った有朋のさきへ立って、なんのこともない顔を馬と並べ乍ら、パカパカと三めぐりの土手へあがっていった。
不思議なことに平七は、まっすぐ土手を石原町の方へ下っていった。
「違うぞ。平七。吾妻橋を渡るんじゃ」
「そうでございますか……。こちらへいっては、お屋敷へまいられませんか」
「行って行かれないことはないが、半蔵門へかえるのに、本所なぞへいっては大廻りじゃ。吾妻橋へ引っ返せ」
「でも、馬がまいりますもんですから……」
「…………」
だまって、首をかしげていた有朋が、突然、洞穴《ほらあな》のような声を出して、馬の上から笑った。
「なるほど、そうか。ハハハ……。さては、おまえ……」
「なにかおかしいことがあるんでございますか」
「あれに、お雪に参っておるな」
「わたしが! そうでございましょうかしら……。そんな筈はないんだが、いち度もそんなことを思ったことはないつもりですが……」
しかし、こないだの夕ぐれもそ
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