門からは、何の音沙汰もないのです。
夕方までには、何か仕かけて来るだろうと待っていたが、やはりないのでした。
二日経っても来ない。
三日経っても来ない。
「腰本|治右《じえ》は意気地がのうても、娘は将軍家の息がかかっておるという話じゃからのう、おてかけ馬に乗って来そうなものじゃが――」
「何でござります。お将軍さまのお息がかかるというのは何のことでござります」
「おまえと京弥みたいなものよ」
「菊路はそんな、京弥さまに息なぞかけたことござりませぬ」
「アハハ。かけたことがなければ急いでかけいでもいい。このうえ見せつけられたら、兄は焼け死ぬでのう。あすは来るやも知れぬ。来たら分るゆえまてまて」
しかし、四日が来たのにやはり何の沙汰もないのです。
五日が経《た》ったがやはりない。
こっちへは何の挑戦がなくとも湯島の方へ何か仕掛けたら、梅甫から急の使いでも来そうなのに、それすらもないのです。
いぶかしみつつ六日目の夕方を迎えたとき、京弥が色めき立って手をつきました。
「来たか!」
「はッ」
「何人じゃ」
「ひとりでござります」
「なに、ひとり?」
「このようなもの持参いたしました」
「みせい!」
さし出したのは、すばらしくも贅沢《ぜいたく》きわまる文筥《ふばこ》なのです。
しかし、中の書状に見える文字《もんじ》は、またすばらしくもまずい金釘流なのでした。
「てまえごときもの、とうてい、お対手は出来申さず候。ついてはおわび旁々《かたがた》、おちかづきのしるしに、粗酒一|献《こん》さしあげたく候間、拙邸《せってい》までおこし下さらば腰本治右衛門、ありがたきしあわせと存じ奉りあげ候」
粗酒一献とあるのです。
拙邸ともある。
「わッははは。黒鍬組の親方、漢語を使いおるのう。拙邸と申しおるぞ。使いはいずれじゃ」
「お玄関に御返事お待ち申しておりまする」
「今行くと伝えい! 乗り物じゃ。すぐ支度させい!」
「御前、おひとりで?」
「そうだ。わるいか」
「でも、もし何ぞよからぬ企らみでもござりましたら――」
「企らみがあったら、ピカリと光るわ。江戸御免の眉間傷|対手《あいて》に治右《じえ》ごとき何するものぞよ。あとで菊路とおいちゃいちゃ遊ばしませい。わッははは。六日待たすとはしびれを切らしおった。いつ罷りかえるか分らぬぞ」
乗って本所長割下水を出かけたのが日
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