だって造りは変っておるし、出て来りゃ、おまえとふたりでのろけをきかすのさ。これが二十たア安いもんだ。新世帯にかっこうだぜ」
 買って住み出したのが五月のつゆどき。
 画はそんなにうまくはないが、篠原梅甫、真似ごとにやっとうのひと手ふた手ぐらいは遣って、なかなかに肝が据っているのです。
「よそで食ってもうまくねえ。おまえのお給仕が一番さ。おそくなっても晩にゃ帰るからね。やっこ豆腐で、一本たのんでおくぜ」
 出来あがった画を浅草へ持っていって、小急ぎに帰って来たのが六月初めのむしむしとする夕まぐれ……。
 ひょいと玄関の格子戸へ手をかけようとすると、ふわりと煙のような影だ。寒竹の繁みがガサガサと幽《かす》かにゆれたかと思うと、うす白い男の影がふんわり浮きあがりました。
「誰だッ」
「………」
「まてッ。誰だッ」
 そのまにすうと煙のように向うへ。
 肝は据っていたが、いいこころもちではない。少し青ざめて這入ってゆくと、妻の小芳が湯あがりの化粧姿もあらわに、胸のあたり、乳房のあたり、なまめかしい肉の肌をのぞかせながら気を失って打ち倒れているのです。
「どうした!」
「俺だ! 小芳! どうしたんだ!」
「あッ……」
 ふッと息を吹きかえすと、
「怕い!……。怕い怕い!……」
 かきすがりざま訴えた言葉がまた奇怪でした。
「白い影が……、煙のような男の影が……」
「のぞいたか!」
「そうざます。お湯からあがって、身仕舞いしているところへ、あのうす暗い庭さきからふうわりとのぞいて、また向うへ――」
 梅甫、ききながらぎょッと粟つぶ立ちました
「アハハ……。気のせいだよ」
「いいえ、ほんとうざます。ほかのことはぬしにさからいませぬが、こればっかりは――」
 ぞッと水でも浴びたように身ぶるいさせると、もう懲《こ》りごりと言うように訴えました。
「このようなうちに住むは、もういっ刻もいやざます。今宵にもどこぞへ引ッ越してくんなまし」
「馬鹿言っちゃいけねえ。俺もちらりと、――いいや、ちらりと見たという奴が目のせい、気のせい、みんなこっちの心で作り出すまぼろしさ、今御繁昌のお江戸に幽霊なんかまごまごしておってたまるかよ。それよりいい話があるんだ。おまえの兄さんに会ったぜ」
「まあ! いつ、どこで?」
 脅えていた小芳の顔が、急にはればれと晴れ渡りました。
「兄さんなら、下総《しもふさ》
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