介の眉間傷も小魚共には利き目が薄いと見ゆるよ」
「はッ。御帰館との御諚《ごじょう》ならば立ち帰りまするでござりますが、釣れぬのは――」
「釣れぬのは何じゃ」
「水死人ゆえでも、御眉間傷の利き目が薄いゆえでもござりませぬ。冬の夜釣りがそもそも時はずれ、ましてやタナゴ釣りは陽《ひ》のあるうちのもの、いか程横紙破りの御好きな御殿様でござりましょうとも、釣れる筈のない時に釣れる道理はござりませぬ」
「わははは。身共を横紙破りに致したは心憎いことを申す奴よのう。眉間傷《みけんきず》も曲っておるが、主水之介はつむじも少々左ねじじゃ。馬鹿があってのう」
「は?」
「昔のことよ。昔々大昔、馬鹿があってのう。箒《ほうき》で星を掃き落とそうとしたそうじゃ。ウフフフ。主水之介もその馬鹿よ。釣れても釣れのうても釣りたくなると釣って見たいのじゃ。――帰るかのう」
いかさまつむじが言う通り少々左ねじです。主水之介いかに江戸一の名物男であったにしても、時でもない時に釣れる筈はない。だのに、釣れぬと知りつつ、こんな冬ざれの寒風をおかしながら、わざわざ夜釣りにやって来たのは、タナゴ釣りの豪奢極まりない清興に心惹かれたからでした。手竿は、折りたたむと煙管《きせる》の長さだけに縮まるところからその名の起きた、煙管尺十本つぎの朱ぬり竹、針糸《はりす》は、男の肌を知らぬ乙女の生毛《いきげ》を以ってこれに当てると伝えられている程の、凝《こ》りに凝った大名釣りなのです。
「船頭々々」
「へッ」
「獲物はないが、冬ざれの大川端の遠灯《とおび》眺むるもなかなか味変りじゃ。そのように急ぐには及ばぬぞ」
「でも京弥様が、寒いゆえ早うせい、早うせいと――」
「申したか! ウッフフ。京弥! なかなか軍師じゃのう。どんな風やら、さぞかし寒かろうぞ。菊めの袖屏風がないからのう。身共も吉原へでも参って、よい心中相手を探すかな」
「ま! またお兄様が御笑談ばッかり、その菊路はここにお迎えに参っておりまする」
言ううちにいつか長割下水の屋敷近くへ漕ぎつけていたと見えて、薄闇の中から不意に言ったのは妹のその菊路です。
「あの、京弥さまは? ……」
「ここでござります」
「ま? お寒そうなお姿して――、御風邪は召しませなんだか。そうそう。あの御兄様、大事ことを忘れておりました」
大事なことがあるというのに、先ず先に想《おも》い人京
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