ら闇に葬る所存じゃわ。その手筈大方もう整うたゆえ、今宵この通り前祝いさせたのじゃ」
「ウフフ。あはは! 竜造寺どの、お身も愈々|耄碌《もうろく》召さった喃」
「なにッ。笑うとは何じゃ。秘密あかした上からは、早乙女主水之介とて容赦せぬ。出様次第によってはこのまま生かして帰しませぬぞ」
「ウフフ。また槍でござるか。生かして帰さぬとあらば主水之介、傷に物を言わせて生きて帰るまでじゃが、隆光を憎しみなさるはよいとして、罪なき人夫を首にするとは何のことぞ。さればこそ、竜造寺長門守も耄碌召さったと申すのじゃ。いかがでござる。言いわけおありか」
「のうて何とするか! 隆光が献策致せし生類憐れみの令ゆえに命を奪られた者は数限りがないわ。京都叡山、天台の座首も御言いじゃ。護持院隆光こそは許し難き仏敵じゃ。彼を生かしておくは仏の教を誤る者じゃと仰せあったわ。さるゆえ竜造寺長門、これを害《あや》めるに何の不思議があろうぞ。憎むべき仏敵斃すために、人夫の十人二十人、生贄《いけにえ》にする位は当り前じゃわ」
「控えませい!」
「なにッ」
「十人二十人生贄にする位当り前とは何を申されるぞ。悪を懲らすに悪を以てするとは下々の下じゃ。隆光いち人斃すの要あらば正々堂々とその事、上様に上申したらよろしかろうぞ。主水之介ならばそのような女々《めめ》しいこと致しませぬわ!」
「………」
「身共の一語ぐッと胸にこたえたと見えますな。そうでござろう。いや、そうのうてはならぬ。男子、事に当ってはつねに正々堂々、よしや悪を懲らすにしても女々しき奸策《かんさく》を避けてこそ本懐至極じゃ。天下御名代のお身でござる。愚か致しましたら、竜造寺家のお名がすたり申しましょうぞ」
「………」
「いかがでござる!」
「………」
「主水之介は、かような女々しき、奸策は大嫌いじゃ。今なお槍をお持ちじゃが、まだ横車押されると申さるるか! いかがでござる!」
「………」
「いかがじゃ! 返答いかがでござる」
「いや、悪かった。面目ない。許せ許せ」
さすがに長門守、一個の人物でした。ガラリ槍を投げすてると、悄然としながらうしろを見せてとぼとぼと歩み出しました。見眺めて主水之介、それ以上にうれしい男です。
「お分りか。なによりでござる。お帰りならばどうぞあれへ。むさくるしいが身共の駕籠が用意してござる。京弥! 御案内申しあげい。権次! 権次!」
案内させておくと峠なしの権次に命じました。
「棟梁共もさぞかし喜ぼうぞ。早う救い出して宿帰りさせい」
「心得ました。ざまアみろい」
脱兎のごとくに走り去ったのを見送りながら、突如、凛然《りんぜん》として手にせる鉄扇を取り直すと、声と共に凄しい一撃が、呆然としてそこに佇んでいる道場主釜淵番五郎のところに飛んでいきました。
「武道を嗜《たしな》む者が道を誤まるとは何ごとじゃッ。無辜《むこ》の人命|害《あや》めし罪は免れまいぞ! 主水之介|天譴《てんけん》を加えてつかわすわッ。これ受けい!」
同時に番五郎の右腕はすさまじい鉄扇のその一撃をうけて、ボキリと不気味な音を立てながら二つに折れました。
「わッはは、こうしておかば当分槍も使えぬと申すものじゃ。元通りに癒《なお》らば、もそッと正しき武道に精出せよ。京弥! 菊のところへ帰ろうぞ」
快然として打ち笑いながら、夜ふけの江戸の木枯荒れる闇の中に消え去りました。
底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:大野晋
2001年12月18日公開
2002年1月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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