ぬが早乙女主水之介かッ」
 不意に、錆のある太い声で罵りながら、ぬッとその奥から姿を見せたのは道場主釜淵番五郎です。
「ほほう、さすがはそちじゃ。身共を早乙女主水之介と看破ったはなかなか天晴れぞ。名が分ったとあらば用向きも改まって申すに及ぶまい。あの男を見れば万事分る筈じゃ。――権次! 権次! 峠なしの権次!」
「めえります! めえります! 只今めえります! ――やい! ざまアみろい! 一番手は京弥様。二ノ陣は傷の御前、後詰《ごづめ》は峠なしの権次と、陣立てをこしれえてから、乗り込んで来たんだ。よもや、おいらの面《つら》を忘れやしめえ! 用はこの面を見りゃ分るんだ。よく見て返答しろい!」
「そうか! うぬが御先棒か! それで何もかも容子が読めたわ。あの大工がほしいと言うのか。ようし。ではこちらも泡を吹かしてやろうわッ。――殿! 殿!」
 さぞかし驚くだろうと思われたのに、番五郎の方でも用意の献立てが出来ていたと見えて、にったりと嘲笑うと、不意に奥の座敷へ対《むか》って呼び立てました。
「殿! 殿! やっぱり察しの通りでござりました。後押しの奴も御目鑑《おめがね》通り早乙女主水之介でござりまするぞ。御早く御出まし下さりませい」
「よし、参る」
 静かに応じて騒ぐ色もなく悠然とそこへ姿を見せたのは誰でもない。これぞ問題の人竜造寺長門守です。しかも長門、犯信ゆえに栄誉ある大阪城代の職を過《あやま》ったとは言え、さすがに名家の末裔《まつえい》、横紙破りの問題起した風雲児だけのものがあって、態度、おちつき、貫禄共に天晴れでした。恐らくは真向浴《まっこうあ》びせにすさまじい叱咤《しった》の声をでも浴びせかけるだろうと思われたのに、主水之介の姿を見眺めるや大きく先ず莞爾《かんじ》として打ち笑ったものです。
 引きとって退屈男また莞爾たり!
 そうしてあとがたまらなかった。片やは横紙破りの風雲児、片やはまた江戸名物の退屈男と、両々劣らぬ大立者同士のその応対が実にたまらなかったのです。
「ウフフ。そちが早乙女主水之介か」
「わッはは。お身が竜造寺どのでござったか」
「珍しい対面よ喃《のう》」
「いかにも」
「対手がそなたならば早いがよい。用は何じゃ」
「御身の謎を解きにじゃ」
「面白い! 長門の返答はこれじゃ。受けてみい!」
 やにわにたぐりとってさッと繰り出したのは長槍でした。しかし、対手は傷の早乙女主水之介です。自若としながら莞爾として穂先を躱《かわ》すと、静かに浴びせかけました。
「竜造寺長門と言われた御身も、近頃|耄碌《もうろく》召さったな」
「なにッ。では、どうあっても長門の秘密、嗅ぎ出さずば帰らぬと申すか!」
「元よりじゃ。横紙破りのお身が黒幕にかくれて、これだけの怪事企むからには、よもや只の酔狂ではござるまい。槍ならばこの眉間傷、胆力ならば身共も胆力、名家竜造寺の系図を以て御対手召さらば、早乙女主水之介も三河ながらの御直参を以て御手向い申すぞ。御返答いかがじゃ」
「ふうむ、そうか。さすがにそなただけのことはある喃。その言葉竜造寺長門、気に入った。よし。申してつかわそう。みなこれ天下のためじゃわ」
「なに! 何と申さるる! 近頃奇怪な申し条じゃ。承わろうぞ! 承わろうぞ! その仔細主水之介しかと承わろうぞ! 怪しき道場を構えさせ、怪しき武芸者を使うて人夫共の首斬る御政道がどこにござるか」
「ここにあるゆえ仕方がないわ。びっくり致すな。井戸掘人夫[#底本では「井戸堀人夫」と誤植]を入れて掘らしたは陥《おと》し穴じゃ。大工達に造えさせおるは釣天井じゃ。みなこれ悪僧|護持院隆光《ごじいんりゅうこう》めを亡き者に致す手筈じゃわ」
「なになに! 隆光とな! 護持院の隆光でござるとな! ――」
 あまりの意外に主水之介の面にはさッと血の色が湧きのぼりました。当り前です。はしなくも竜造寺長門守が口にしたその護持院隆光とは、怪しき修法《すほう》を以て当上様綱吉公をたぶらかし奉っている妖僧《ようそう》だったからです。由なき理由を申し立てて、生類《しょうるい》憐れみの令を施行したのもその護持院隆光だったからです。――退屈男の口辺には自ずと微笑がほころびました。
「意外じゃ! 意外じゃ、実に意外じゃ。いやさすがは長門守どの、狙《ねら》う対手がお違い申すわい、それにしても――」
「何じゃ」
「隆光はいかにも棄ておき難い奴でござる。なれども、これを亡き者と致すにかような怪しきカラクリ設けるには及びますまいぞ。何とてこのような道場構えられた」
「知れたこと、悪僧ながら彼奴は大僧正の位ある奴じゃ。ましてや上様御祈願所を支配致す権柄者《けんぺいもの》じゃ。只の手段を以てはなかなかに討ち取ることもならぬゆえ、この二十五日、当道場地鎮祭にかこつけて彼奴を招きよせ、闇か
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