い位でござります」
容子ありげな町奴の不審な言葉に、退屈男の向う傷はピカリと光りました。
「異な事を申す奴よ喃。先程も表で怒鳴ったのをきけば、身共が帰って参ったと知ったゆえ駈けつけて来たとやら申しておったが、何ぞ用でもあって待っておったか」
「お待ち申していた段じゃござんせぬ。江戸へ御帰りなれば何をおいても吉原へお越し遊ばすだろうと存じまして、今日はおいでか明日はお越しかと、もうこの半月あまり、毎夜々々五丁町で御待ち申していたんでごぜえます。今晩もこちらのお絹さんと、――こちらはあッしの知り合いの棟梁《とうりょう》の御内儀さんでごぜえますが、このお絹さんと二人していつもの通り曲輪へ参りましたところ、うれしいことにお殿様が旅から御帰りなせえまして、今しがた、ひと足違げえに御屋敷へ御引き揚げ遊ばしましたとききましたゆえ、飛び立つ思いで早速御願げえに参ったのでごぜえます」
「毎夜吉原で待っておったとは、ききずてならぬ事を申す奴よ喃。飛び立つ思いで願いに参ったとやら申す仔細は一体どんなことじゃ」
「どうもこうもござんせぬ。あッし共|風情《ふぜい》の端《は》ッ葉《ぱ》者《もの》じゃどうにも手に負えねえことが出来ましたんで、ぜひにも殿様にお力をお借りせずばと、ぶしつけも顧みずこうしてお願いに参ったのでごぜえます」
「なに! 主水之介の力が借りたいとのう。ほほう、左様か。相変らず江戸はちと泰平すぎて、傷供養《きずくよう》らしい傷供養もしみじみと出来そうもないゆえ、事のついでに今宵にもまたどこぞ長旅へ泳ぎ出そうかと存じておったが、どうやら話しの口裏《くちうら》を察するに、万更でもなさそうじゃな」
「万更どころじゃねえんですよ。あッしゃいってえお殿様が黙ってこの江戸を売ったッてえことが気に入らねえんです。御免なせえましよ。お初にお目にかかって、ガラッ八のことを申しあげて相済みませんが、こいつアあッしの気性だから、どうぞ御勘弁下せえまし、そもそもを言やア御殿様は、傷の御前で名を御売り遊ばした江戸の御名物でいらッしゃるんだ。その江戸名物のお殿様が、御自身はどういう御気持でのことか知らねえが、あッしとら殿様贔屓の江戸ッ児に何のひとことも御言葉を残さねえで、ぶらりとどこかへお姿を消してしまうなんてえことが、でえ一よくねえんですよ。何を言っても江戸は日本一御繁昌の御膝元なんだからね。こちらに
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