いや、事がそう決まらば急がねばならぬ。御老体、先ず事は半《なかば》成就《じょうじゅ》したも同然じゃ。御支度さッしゃい」
健気《けなげ》な菊路の旅姿を先にして、主水之介、京弥、老神主三人がこれを守りながら、目ざす大和田十郎次の屋敷へ行き向ったのが丁度暮れ六ツ。
元より門はぴたりと締って、そこはかとなくぬば玉の濃い闇がつづき、空も風も何とはのう不気味です。
だが菊路は、涙ぐましい位にも今|健気《けなげ》でした。つかつかと門の外へ歩みよると、ほとほと扉を叩いて中なる門番に呼びかけました。
「あの、物申します。わたくし、旅に行き暮れた女子《おなご》でござります。宿を取りはぐれまして難渋《なんじゅう》ひと方ではござりませぬ。今宵いち夜、お廂《ひさし》の下なとお貸し願えぬでござりましょうか、お願いでござります」
「なに、女子でござりますとな。待たッしゃい、待たッしゃい。宿を取りはぐれた女子とあっては耳よりじゃ。どれどれ、どんなお方でござります」
ギイとくぐりをあけて、しきりにためつすかしつ、差しのぞいていたが、菊路ほどの深窓《しんそう》珠をあざむく匂やかな風情が物を言わないという筈はない。にたりと笑って、忠義するはこの時とばかり、屋敷の奥へ注進に駈け込んでいったその隙を狙いながら、退屈男達三人はすばやく身をかくしつつ、邸内深くの繁みの中に忍び入りました。
「御老体、そなた屋敷の模様御存じであろう。十郎次の居間はいずれでござる」
「今探しているところじゃ。待たっしゃい。待たっしゃい。いや、あれじゃ、あれじゃ。あの広縁を廻っていった奥の座敷がたしかにそうじゃ」
息をころして忍びよると、容子やいかにと耳を欹《そばた》てながら中の気勢《けはい》を窺《うかが》いました。――どうやらあの十一人の掠《かす》め取った女達をその左右にでも侍《はべ》らせて、もう何か淫《みだ》らな所業を始めているらしい容子です。と思われた刹那、門番から近侍の者へ、近侍の者から十郎次へ、菊路のことが囁《ささや》かれでもしたらしく、急に座内が色めき立ったかと思われるや一緒に、十郎次の言う声が戸の外にまで洩れ伝わりました。
「そのような椋鳥《むくどり》が飛び込んで参ったとすれば、ほかの女共がいては邪魔《じゃま》じゃ。下げい。下げい。残らずいつものあの部屋へ閉じこめて、早うその小娘これへ連れい」
声と共に忽ちすべての手筈が運ばれたらしく、程たたぬまに主水之介達三人が窺いよっているそこの広縁伝いに、こちらへさやさやとつつましやかに衣《きぬ》ずれの音を立てながら、大役に脅《おび》えおののいているのに違いない菊路が導かれて来た気配《けはい》でした。と同時です。もうその場から汚情《おじょう》に血が燃え出したものか、十郎次の濁《にご》った声が伝わりました。
「ほほう、いかさまあでやかな小娘よ喃。道に踏み迷うたとかいう話じゃが、どこへの旅の途中じゃ」
「………」
「怖《こわ》うはない、いち夜はおろか、ふた夜三夜でも、そなたが気ままな程に宿をとらせて進ぜるぞ。どこへ参る途中じゃ」
「あの、日光へ行く途中でござります」
「ほほう、左様か。このあたりは道に迷いやすいところじゃ。それにしてもひとり旅は不審、連れの者はいかが致した」
「あの、表に、いいえ、表街道までじいやと一緒に参りましたなれど、ついどこぞへ見失うたのでござります」
「じいやと申すと、そなた武家育ちか」
「あい、金沢の――」
「なに、加賀百万石の御家中とな。どことのうしとやかなあたり、育ちのよさそうな上品さ、さだめて父御《ててご》は大禄の御仁であろう喃」
「いえ、あの、浪人者でござります。それも長いこともう世に出る道を失いまして、逼息《ひっそく》しておりますゆえ、よい仕官口が見つかるようにと、二つにはまた、あの――」
「二つにはまたどうしたと言うのじゃ」
「あの、わたくしに、このような不束者《ふつつかもの》のわたくしにでもお目かけ下さるお方がござりますなら、早くその方にめぐり合うよう、日光様へ願懸けに行っておじゃと、母様からのお言いつけでござりましたゆえ、じいやと二人して参ったのでござります」
「ウフフ。うまいぞ。うまいぞ」
きいて戸の外の退屈男は小さく呟《つぶや》きました。しかし、穏かでないのは京弥です。きき堪えられないように身悶えながら色めき立ったのを、
「大事ない、大事ない。あれが手管ぞよ。手管ぞよ。今暫くじゃ、辛抱せい」
小声で叱りながら、なおじッと聞耳立てました。それとも知らずに十郎次は、菊路の巧みな誘いの一手に汚情を釣り出されたとみえて、ますます色好みらしい面目をさらけ出しました。
「聟探しの日光|詣《もう》でとはきくだに憎い旅よ喃。もしも目をかけてとらす男があったら何とする」
「ござりましたら――」
「ござり
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