旗本退屈男 第八話
日光に現れた退屈男
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蕭条《しょうじょう》として

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)ひとりや二人|徘徊《はいかい》して

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#丸付きの「印」、233−下−1]
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       一

 ――その第八話です。
 現れたところは日光。
 それにしても全くこんな捉まえどころのない男というものは沢山ない。まるで煙のような男です。仙台から日光と言えば、江戸への道順は道順であるから、物のはずみでふらふらとここへ寄り道したのに不思議はないが、どこで一体あの連中を置き去りにしてしまったものか、仙台を夜立ちする時はたしかにあの江戸隠密達二人と一緒の筈だったのに、日光めざして今市街道に現れたその姿を見ると、お供というのは眉間傷と退屈の虫だけで、影も姿もただのひとり旅でした。その上に着流し雪駄ばき落し差しで、駕籠にも乗らずにふわりふわりと膝栗毛なのです。
 だが退屈男だけに、そのふわりふわりの膝栗毛が、何ともかとも言いようのない膝栗毛でした。
「ウフフ……。木があるな」
 山道であるから木があったとて不思議はないのに、さもさも珍しげに打ち眺めては、しみじみと感に入りながら、またふわりふわりとやって行くのです。行ったかと思うと、
「雲茫々、山茫々、蕭条《しょうじょう》として秋深く、道また遙かなり……」
 口ずさんでは立ち止まり、立ち止まっては谷をのぞき、のぞいてはまた歩き、歩いてはまた立ち止まって、風のごとく、靄《もや》のごとくに、ふわりふわりとさ迷いつつ行くあたり、得も言い難い仙骨が漂って、やはりどことはなしに千二百石直参旗本の気品と気慨の偲ばれる膝栗毛ぶりでした。――行く程に川があって水が見える。大谷川《だいやがわ》です。その水に夕陽が散って、しいんとしみ入るように山気が冷たく、風もないのにハラハラと紅葉が舞って散って、何とはなしに自ら心よい涙がにじみ流るるようなすてきな晩秋だったが、山気のしんしんと冷える按配、流れの冴えてしみ入るように澄んで見える按配、どうやらあしたの朝は深い霜が降りそうな気配でした。
 だから、チョッピイヒョロヒョロ、ピイヒョロヒョロと、たそがれかけた夕空高く囀《さえず》ってこのあたり野州《やしゅう》の山路に毎年訪れる、一名霜鳥との称のある渡り鳥のツグミの群が、啼いて群れて通っていったからとて不思議はないのです。それから百舌《もず》に頬白《ほおじろ》、頬白がいる位だから、里の田の畔《あぜ》、稲叢《いなむら》のあたりに、こまッちゃくれた雀共が、仔細ありげにピョンピョンと飛び跳ねながら、群れたかっていたとてさらに不思議はない。随ってまた小鳥がいる以上は、それらの小鳥を狙う鳥刺しがひとりや二人|徘徊《はいかい》していたとても、何の不思議はない筈なのに、ふらりふらりとやりながら何気なくひょいと見ると、何と言う里の何と言う鎮守であるか、そこの街道脇につづいた鎮守の森の外をうろうろしている鳥刺しの容子が、いかにも少し奇怪でした。第一にいぶかしいのは、鳥刺しの癖に鳥を刺そうとしていないのです。型の如くトリモチ竿の長いのを手にしてはいるが、枝にも梢にも雀がいるのに一向刺そうともしないで、森のまわりを抜き足差し足でうろうろとしながら、何を探そうというのか、しきりと中の容子を覗き見している気勢《けはい》でした。その上に足ごしらえも穏かでない、普通に鳥刺しの服装と言えば、ヒョットコ手拭に網袋、それから代りのモチを仕込んだ竹筒を腰にさげて、手甲に脚絆、膝は十人中十人までが丸出しのままであるのに、不審なその鳥刺しは、丸輪の菅笠を眼深に冠って、肩には投げ荷を背負い、あまつさえ脚絆のほかに股引すらも穿《は》きながら、一見しただけで遠い旅路をでもして来たらしいいで立ちでした。しかも、肝腎の刺した雀を入れる網袋がないのです。――これは何びとが何と抗議を申込もうと、不審と言うのほかはない。他の七ツ道具の容子が変っているのは、まだ大目に見逃すことが出来ないものでもないが、小鳥を刺してそれをその日その日の生計《たつき》の料《しろ》にしている鳥刺しが、獲物を入れるべき袋を腰にしていないということは、大いに不埓千万《ふらちせんばん》なのです。
「はて喃《のう》。雲茫々、山茫々、鳥刺し怪しじゃ。ちとこれは退屈払いが出来ますかな」
 いぶかりながら見眺めているとき、実に不意でした。
「貴様、まだまごまごしておるかッ。神域を穢《けが》す不所存者めがッ。行けッ、行けッ。行けと申すに早く行かぬかッ」
 けたたましく怒号し
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