退けい。退かせい」
「申すなッ。隠密うける密事があらば格別、何のいわれもないのになにゆえまた謝罪するのじゃ。紊りに入国致した隠密ならば、たとい江戸大公儀の命うけた者とて、斬り棄て成敗勝手の筈じゃわッ。構わぬ、斬ってすてろッ」
「馬鹿者よ喃。まだ分らぬかッ。石の巻のあの不埒は何のための工事じゃ」
「えッ――」
「それみい、叩けばまだまだ埃が出る筈、この早乙女主水之介を鬼にするも仏にするも、その方の胸一つ出方一つじゃ。とくと考えて返答せい」
「………」
「どうじゃ。それにしてもまだ斬ると申すか。主水之介眉間に傷はあるが、由緒も深い五十四郡にたって傷をつけるとは申さぬわッ。探るべき筋《すじ》あったればこそ探りに這入った隠密、斬れば主水之介も鬼になろうぞ。素直に帰さば主水之介も仏になろうぞ。どうじゃ。とくと分別して返答せい」
「…………」
 ぐっと言葉につまって油汗をにじませながら打ち考えていたが、さすが老職年の功です。
「退《ひ》けッ。者共騒ぐではない。早う退けいッ」
「わッははは、そうあろう。そうあろう。素直に退かばこの隠密とても江戸者じゃ。血もあり涙もある上申致そうぞ。さすれば五十四郡も
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