くえ》を求めました。
 だが、いないのです。本堂からお祖師堂。お祖師堂から参籠所、参籠所から位牌堂《いはいどう》、位牌堂から経堂《きょうどう》中堂《ちゅうどう》、つづいて西谷《にしだに》の檀林《だんりん》、そこから北へ芬陀梨峯《ふんだりみね》へ飛んで奥の院、奥の院から御供寮《ごくりょう》、それから大神宮に東照宮三光堂と、七|堂伽藍《どうがらん》支院《しいん》諸堂《しょどう》残らずを隈《くま》なく尋ねたが似通った年頃の詣で女はおびただしくさ迷っていても、さき程のあの怪しき女程のウブ毛も悩ましい逸品は、ひとりもいないのです。
 ぐるりと廻って、再び本堂前まで帰って来たとき、
「とうとう見つかった。こんなところにおいででござんしたか、もしえ殿様!」
 不意にうしろから呼びかけた声がありました。馬返しで別れた横取りの三公です。プーンと酒が臭い。
「どじょうになったな。何の用じゃ」
「えッへへへへ、どうもね、この通り般若湯《はんにゃとう》ですっかり骨までも軟かくなったんで、うれしまぎれに御殿様の御容子を拝見に参ったんでござんす。一件の女的《あまてき》はばれましたかい」
「見失うたゆえ、探しているのよ」
「顔に似合わず素ばしッこかったからね。どッかへ隠れてとぐろを巻いているんでしょうよ。いえ、なにね、それならそれでまた工夫もあると言うもんでござんす。実は今あの通りね、ほら、あそこの経堂のきわに大連の御講中が練り込んで来ておりますね。何でもありゃお江戸日本橋の御講中だとかいう話なんだ。日本橋と言えば土一升金一升と言う位なんだからね、きっとお金持ち揃いに違えねえんですよ。だから、今夜あの連中がお籠り堂へ籠ったところを狙って、こんな晩に大稼ぎとあの女的《あまてき》がお出ましになるに違えねえからね、どうでござんす。智慧はねえが力技は自慢のあッしなんだ。どじょうにして頂いたお礼心にね、あっしもお手伝いしたって構わねえんだが、殿様も旅のお慰みにお籠りなさって、化けて出たところを野郎とばかり、その眉間の傷でとッちめなすっちゃどうですかい」
「面白い。ドンツク太鼓をききながらお籠りするのも話の種になってよかろうぞ、万事の手筈せい」
「へッへへ。手筈と言ったって、おいらにゃこれがありゃいいんだ。酔がさめて夜半にまた喧嘩虫が起きるとならねえからね。ふんだんに油を流し込んでおくべえと、さっきの小判のうちからね、この通り用意して来たんですよ」
 背中の奥から、盗んだ西瓜でも出すように、こっそり取り出したのは、すさまじいことに一升徳利が二本です。しかも万事に抜け目がない。
「ここが一番風通しがよくてね。ひと目にかからず中の様子はひと眺めという、お殿様の御本陣にゃ打ってつけの場所です。今のうちに取っておきましょうから、おいでなせえまし」
 いざなっていった所は、広縁側の柱の蔭の、いかさま見張るには恰好な場所でした。そのまにもひとり二人、五人、八人といやちこき善男善女達が、あとからあとからと参詣に詰めかけてお山はしんしん、太鼓はドンツク、夕べの勤行《ごんぎょう》の誦唱《ずしょう》も極楽浄土のひびきを伝えながら、暮れました、暮れました。善も悪も恋も邪欲も、只ひと色の黒い布に包んで、とっぷりと暮れたのです。

       三

 ふけるにつれて、参籠所はギッシリと横になる隙もない程の人でした。百畳、いや二百畳、いや、三百畳敷位もあろうかと思われるその大広間と、虫のように黒くうごめくその数え切れぬ人々を、ぼんやり暗く照らしているのは、蓮華燈が六つあるばかり。その明滅する灯《あかり》の下で、鮨詰めの善男善女達が、襲いかかる睡魔を避けようためにか、蚊の唸るような声をあげて、必死とナンミョウホウレンゲキョウを唱えつづけました。
 しかし、眉間の傷も冴えやかなわが早乙女主水之介は、うしろの柱によりかかって、いとも安らかに白河夜船です。まことに、これこそ剣禅一味の妙境に違いない。剣に秀で、胆に秀でた達人でなくば、このうごめく人の中で、しかも胡坐《あぐら》を掻いたまま、眠りの快を貪るなぞという放れ業は出来ないに違いないのです。
「殿様え。ね、ちょっと、眉間傷のお殿様え」
「………」
「豪儀《ごうき》と落付いていらっしゃるな。鼾《いびき》を掻く程も眠っていらっしゃって、大丈夫かな」
 ちびりちびり三公は、二升徳利のどじょう殺しを舐《な》め舐め大満悦でした。
 そのまにいんいんびょうびょうと、七|堂伽藍《どうがらん》十六支院二十四坊の隅々にまでも、不気味に冴えてひびき渡ったのは丁度四ツ。――その時の鐘が鳴り終るや殆んど同時です。さやさやと忍びやかに広縁廊下を通りすぎていったのは、まさしく女の衣《きぬ》ずれの音でした。――刹那! 轡《くつわ》の音に目を醒すどころの比ではない。何ごとも知らぬ
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