本傷つけるのを覚悟で、追いちぢまったところを狙い打ちに打ち放ったら、手元に狂いもなく仕止められるに違いないが、兎にも角にも霊場なのだ。血を見せてはならぬ法《のり》の浄地《じょうち》、教《おしえ》の霊場なのです。――いくたびか抜きかかった小柄《こづか》を押え押えて、必死と黒い影を追いました。今十歩、今十歩と、思われたとき、残念でした。無念でした。女がつつうと横にそれると、西谷檀林《にしだにだんりん》の手前にあった末院行学院《まついんぎょうかくいん》の僧房へさッと身をひるがえしながら逃げ入ったのです。いや、そればかりではない。偶然だったか、それともそういう手筈でもが出来ていたのか、逃げ込んでいった女のあとを追いながら、構わずその庭先へどんどん這入っていった退屈男の眼前へ、ぬッと現れながら両手を拡げんばかりにして立ち塞がったのは、六尺豊かの逞しき荒法師然とした寺僧です。しかも、立ち塞がると同時に、びゅうびゅうと吠えるような声を放ちながら、すさまじい叱咤を浴びせかけました。
「狼藉者《ろうぜきもの》ッ。退れッ、退れッ。霊場を騒がして何ごとじゃッ。退らッしゃいッ」
「申すなッ、無礼であろうぞッ。狼藉者とは何を申すかッ」
 ぴたりそれを一|喝《かつ》しておくと、退屈男は自若《じじゃく》として詰《なじ》りました。
「いらぬ邪魔立て致して、御僧は何者じゃ」
「当行学院御院主、昨秋|来《らい》関東|御巡錫中《ごじゅんしゃくちゅう》の故を以て、その留守を預かる院代《いんだい》玄長《げんちょう》と申す者じゃ。邪魔立て致すとは何を暴言申さるるか、霊地の庭先荒さば仏罰覿面《ぶつばつてきめん》に下り申すぞッ」
「控えさっしゃい。荒してならぬ霊地に怪しき女掏摸めが徘徊《はいかい》致せしところ見届けたればこそ、これまで追い込んで参ったのじゃ。御僧それなる女を匿《かくま》い致す御所存か!」
「なに! 霊地を荒す女掏摸とな。いつ逃げこんだのじゃ。いつそのような者が当院に逃げ込んだと申さるるのじゃ」
「おとぼけ召さるなッ、その衣の袖下かいくぐって逃げ込んだのを、この二つのまなこでとくと見たのじゃ。膝元荒す鼠賊《そぞく》風情《ふぜい》を要らぬ匿い立て致さば、当山御|貫主《かんす》に対しても申し訳なかろうぞ」
「黙らっしゃい。要らぬ匿い立てとは何を申すか! よしんば当院に逃げ込んだがまことであろうと、窮鳥《
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