。時に、薩摩の方は飢饉かな」
「と仰せられますると?……」
「久しく手土産を頂かぬので喃、七十三万石も近頃は左前かと、人ごとならず心配しておるのじゃ。どうじゃな。米なぞも少しはとれるかな」
「はっ。いえ、なんともはや、只々汗顔の至りでござりまする。――これよ! これ! な、何をうろたえおるかッ。早う、あれを、御音物《ごいんもつ》を、用意せぬかッ」
「いや、なになに、そのような心配なぞ御無用じゃ。御勝手元が苦しゅうなければ三万両が程も拝借致そうと思うておったが、飢饉ならばそれも気の毒じゃでな。お茶なぞ飲んで参らぬかな」
「いえ、はっ、恐れ入りましてござります。これよ! これッ、な、なぜ早う用意せぬかッ。御前が三万両との有難い仰せじゃ。とく献上せい!」
右に左にまごまごと陪臣共が飛び走って、七十三万石の御太守も街道の真ん中に冷や汁流しながら、只もううろうろとすっかりひねられた形でした。やがてのことに整えられたのはその三万金です。うず高く積みあげて引き退ろうとしたのを、
「まだ忘れ物がある」
呼び止めたのは退屈男でした。
「先刻供侍が馬を斬った筈じゃ。三河の馬はちと高うござる。五百両が程も馬代、支払わっしゃい」
まことにどうも仕方がない。三宝に打ちのせて整えたのを小気味よげに見眺めながら、退屈男がいとも朗らかに言いました。
「御前。御意はいかがにござります。薩摩の山吹色はまた格別のようでござりまするな」
「うんうん、飢饉にしてはなかなか色艶もよさそうじゃ。これよ、薩州、いかい心配かけたな。ひと雨あらば小魚共もよう喰うであろうゆえ、二三匹が程も江戸の屋敷の方へ届けようぞ。無心致したお礼にな。では主水之介、そちにも骨折賃じゃ、二箱三箱持っていったらどうじゃな」
「いえ、折角ながら――」
言下に斥けると、まことに退屈男の面目躍如たるものがありました。
「折角ながら、道中の邪魔になるばかりでござりますゆえ、御辞退仕りまする。こちらの五百両も――、言ううちに愛馬を斬られた御領内の若者がかしこへ参りました。何とぞあれへ。その代り――」
「何か所望か」
「手前、先程あれなる向うの川でハヤ共を一匹も物に致しませなんだが、いかにも心残りでなりませぬ。御前のその御曲※[#「※」は「祿−示」、第3水準1−84−27、155−下−1]《おきょくろく》、暫時の間拝借仕りまして、事のついでにお坊主衆もお借り受け申し、お茶なぞねじ切りながら、心行くまで太公望致しとうござりまするが、いかがでござりましよう」
「うんうん、若いに似合わず禅味があってうい奴じゃ、石斎、妙庵、気に入るよう支度致してとらせい」
朱塗り御紋所打ったる曲※[#「※」は「祿−示」、第3水準1−84−27、155−下−9]を川岸に運ばせて、左右に二人の茶坊主を打ち随えながら、悠然として腰打ちかけると、あやつめがッ、要らざる節介に、と言わぬばかりでくちおしそうに睨み睨み通りすぎていった薩摩の行列に、晴れ晴れとして呼びかけました。
「七十三万石より少しばかり御無礼した味わいじゃ、坊主々々、ここらで一つねじ切ったらよかろうぞ!」
付記 ぐずり松平について。
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退屈男の第五話に見えるぐずり松平の事実は、隠れたる逸事として徳川三百年中東海道に鳴りひびいた秘話中の秘話です。十七代連綿として相つづき、その最後の第十七代|松平上野介忠敏《まつだいらこうずけのすけただとし》こそは、幕末剣客中の尤物《ゆうぶつ》で、神田講武所の師範代を長らく勤め、かの清川八郎なぞと共に、新徴組を組織して、その副隊長に擬せられた一代の風雲児です。ぐずり御免のお墨付と共に、家光公より拝領の名笛が維新後赤坂辺に逼息《ひっそく》していられたその後裔《こうえい》に伝えられていたという話ですが、今どこへいったか、現存すれば博物館ものでしょう。
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底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:皆森もなみ
2001年5月18日公開
2001年8月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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