ヤが餌を悉く私《わたくし》致しおったぞ。ほら、ほら、のう不埒《ふらち》ないたずら共じゃ、早うつけ替えい」
 とぼけて松平の御前は竿の方へ、土州侯は腰を低めてお駕籠の方へ、まことにどうもそのぐずり加減、ぐずられ加減の程のよさというものは、なんともかとも言いようがない。いやなになに、禅の修行代りでなと、いかにも空とぼけたことを言いながら、遠慮するごとくせざるごとく、鷹揚に手土産を御嘉納するあたり、おのずから品が備わって、むしろほほ笑みたい位です。――始終を眺めた退屈男は、えもいいがたいその飄逸《ひょういつ》ぶりに、悉く朗かになりながら、土州侯の行列が通り過ぎてしまったのを見すますと、腰低くつかつかと進みよって、いんぎんに呼びかけました。
「お付きの御坊主衆にまで申し入れまする。江戸旗本早乙女主水之介、松平の御前にお目通り願わしゅう存じまするが、いかがにござりましょう」
「なになに、旗本とな――」
 声をきいて、源七郎君お自ら磊落《らいらく》そうにふり向くと、流れに垂れた釣竿をあやつりあやしつつ、じいッと退屈男をやや暫し見守っていたが、伯楽《はくらく》よく千里の馬を知るとはまさにこれです。
「ほほう、眉間に惚れ惚れと致す刀像が見ゆるな。何ぞ物を言いそうな向う傷じゃ。これよ、石斎、石斎――」
 併らのお茶道具を守っていた茶坊主を顧みると、不意に奇妙なことを命じました。
「何の用かは知らぬが、江戸旗本ときいては、権現様の昔|偲《しの》ばれていちだんとなつかしい。どうやら胆もすぐれて太そうな若者じゃ。野天のもてなしで風情《ふぜい》もないが、何はともあれひとねじりねじ切ってつかわしたらよかろうぞ」
「心得ましてござります。主水之介殿とやら、お上がお茶下し賜わりまする。ねじり加減はどの位でよろしゅうおじゃりましょう?」
 面喰ったのは退屈男でした。江戸八百万石の御威勢、海内《かいだい》に普《あまね》しと雖も、ひとねじりねじ切ってつかわせと言うような茶道の隠語は今が最初です。
「何でござりましょう? 只今のねじり加減とは何のことにござりましょう?」
「いや、それかそれか、存ぜぬは無理もない。これはな、当国三河で下々の者共が申す戯《ざ》れ語《ご》でな、つまりはお茶の濃い薄いじゃ、飴《あめ》のごとくにどろどろと致した濃い奴を所望致す砌《みぎ》りに、ねじ切って腰にさすがごとき奴と、このよう
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