迄もないことなので、あたかも当日はお誂え向の将軍|日和《びより》――。無役なりとも歴歴の旗本である以上、勿論退屈男にもその御沙汰書がありましたものでしたから、伸びた月代《さかやき》は無礼講というお許しに御免を蒙って着流しのまま、あの威嚇の武器である三日月疵を愈々|凄艶《せいえん》にくっきりと青い額に浮き上がらせて、京弥いち人を供に召連れながら台町馬場へ行きついたときは、丁度試合始めのお太鼓が今しドロドロドンと鳴り出しかけたときでした。
犬公方はすでにお出座なさったあとで、そのお座席の左側は紀、尾、水、お三家の方々を筆頭に、雲州松平、会津松平、桑名松平なぞ御連枝の十八松平御一統がずらりと居並び、右側は寵臣《ちょうしん》柳沢美濃守を筆頭の閣老諸公。それらの群星に取り巻かれつつ、江戸八百万石の御威厳をお示しなさっている征夷大将軍が、お虫のせいとは言いながらお膝の近くに、あまり種のよろしくない野良犬上がりらしい雑種の犬を侍《はべ》らしているのは、少しお酔狂が過ぎるように思われますが、然るにも拘わらず、三百諸侯八万騎の直参旗本共が、おのれらよりも畜生を上座に坐らせられて、一向腹も立てず不平も言わないところが、どう見てもやはり元禄の泰平振りでした。
それもいく分気に入らないためもありましたが、刻限も少しおくれていましたので、退屈男はわざと旗本席をさけて、諸侯の陪臣《ばいしん》共が見物を差し許されている一般席の、それもなるべく目立たないうしろへこっそりと席をとりました。
そのまにも試合は番組通りに開始されて、最初の十二番の槍術が滞《とどこお》りなく終ってから、呼びものの馬術にかかったのが丁度お午《ひる》。これがやはり十二番あって、その中でも当日の白眉とされていた四頭立ての早駈けにとりかかったのが、かれこれ八ツ前でした。
乗り手は先ず第一に肥前家《ひぜんけ》の臣で、大坪流《おおつぼりゅう》の古高新兵衛《ふるたかしんべえ》。
第二には宇都宮藩士《うつのみやはんし》で、八条流の黒住団七《くろずみだんしち》。
第三には南部家《なんぶけ》の家臣で、上田流の兵藤《ひょうどう》十兵衛。
第四には加賀百万石の藩士で、荒木流の江田島勘介。
いずれもこれ等が、各流派々々の達人同士で、同じ早駈けは早駈けであっても、今の競馬とはいささか趣きを異にして、それぞれの流派々々に基づく奥儀振りを
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