のように身を翻えすと、もう姿が闇の中に吸い込まれていったあとでした。

       二

 かくしてその三日目です。
 花の雲、鐘は上野か浅草かのその花はもう大方散りそめかけていましたが、それだけに今ぞ元禄の江戸の春は、暑からず寒からず、まこと独り者の世に退屈した男が、朝寝の快を貪るには又とない好季節でしたから、お午近く迄充分に夢を結んで、長々と大きく伸びをしていると、襖の向うで言う声がありました。
「お目醒めでござりましたか」
「京弥か」
「はッ」
「菊に用なら、ここには見えぬぞ」
「何かと言えばそのように、お冷やかしばかりおっしゃいまして、――お目醒めにござりますれば、殿様にちと申し上ぐべき事がござりまして参じましたが、ここをあけてもよろしゅうござりまするか」
「なに、殿様とな? 兄と言えばよいのに、他人がましゅう申して憎い奴じゃな。よいよい、何用じゃ」
「実は今朝ほど、御門内にいぶかしい笹折りが一包み投げ入れてでござりましたゆえ、早速一見いたしましたところ、品物は大きな生鯛でござりましたが、何やら殿様宛の手紙のような一事が結びつけてござりますゆえ、この通り持参してござります」

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