しな》みです。しかもそれが新刀は新刀でしたが、どうやら平安城流《へいあんじょうりゅう》を引いたらしい大変《おおのた》れ物で、荒沸《あらに》え、匂い、乱れの工合、先ず近江守か、相模守あたりの作刀らしい業物でしたから、時刻は今|短檠《たんけい》に灯が這入ったばかりの夕景とは言い条、いわゆるこれが良剣よく人をして殺意を起こさしむと言う、あの剣相の誘惑だったに違いない。――ほのめく短檠の灯りの下で、手入れを終った刀身をじいっと見詰めているうちに、じり、じりと誘惑をうけたものか、ぶるッと一つ身をふるわして、呟くごとくに吐き出しました。
「血を吸わしてやりとうなったな――」
 だが、そのとき、殺気を和《なご》めるようにぽっかりと光芒《こうぼう》爽《さや》けく昇天したものは、このわたりの水の深川本所屋敷町には情景ふさわしい、十六夜《いざよい》の春月でした。
「退屈男のわしにはつがもねえ月じゃ。では、まだ少し早いが、ひと廻り曲輪《くるわ》廻りをやって来るか」
 のっそりと立ち上がって、今、血に巡り会わしてやりたいと言ったばかりの業物を、音もなくすいと腰にしたとき――、
「お兄様! お兄様!」
 遂《と》げても遂げても遂げ足りぬ恋をでも遂げに行ったらしかった妹菊路が、京弥と一緒に慌ただしくこちらへ駈け走って来たかと見えると、突然訴えるごとくに言うのでした。
「いぶかしいお方が血まみれとなりまして、あの塀外から屋敷うちへ飛び込んでござります。いかが取り計いましょうか」
「なに? 血まみれとな? お武家か町人か、風体《ふうてい》はどんなじゃ」
「遊び人風のまだ若い方でござります」
 言っている庭先へ、よろめきながら本人が姿を見せると、いかさま全身数カ所に何かの打撲傷《だぼくしょう》らしい疵をうけて、血まみれ姿に喘ぎ喘ぎ退屈男の顔を見眺めていましたが、それあるゆえにある時は剣客をも縮み上がらす威嚇となり、それゆえにある時はまた、たわれ女《め》に悩ましい欲情を唆《そそ》り湧かしめるあの凄艶無比《そうえんむひ》な三日月形の疵痕を、白く広い額に発見するや、やにわと言いました。
「もっけもねえところへ飛び込んでめえりました。早乙女の御前様のお屋敷じゃござんせんか。お願げえでごぜえやす。ほんの暫くの間《ま》でよろしゅうごぜえますから、あっしの身柄を御匿《おかく》まい下せえまし。お願げえでごぜえます。
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